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2005年7月に旧中山道六十九次を踏破して以降、次は奥の細道かと8月26日に芭蕉の出発の場所、深川を訪れ深川めしを食べた。奥の細道が2400kmもあることに怖気ついて、しばらくご無沙汰していた。 新年にあたり、一句を詠んだ。 『奮い立て 齢(よわい)を重ねて 奥の細道 青びょうたん』「青びょうたん」のペンネームは、学生時代仲間と雑文を書いていた時代のペンネームで、しばらく忘れていたが、一句詠んだ時思い出した。実に30年ぶりの解禁と言える。というわけで、その句に叱咤激励されて、1月12日に日本橋から千住宿までの10kmを歩いた。 |
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2001年8月27日〜28日の1泊で、ご婦人達の旅行の添乗で木曽御嶽温泉・開田高原、つたや季の宿風里に宿泊した。 女将さんの話しを伺った。仕事で何度か来たことのある場所とはいえ、旧東海道に次いで旧中山道を歩きたいという強烈な誘惑に駆られた。 中山道は、東海道と共に江戸と京を結ぶ江戸時代の幹線道路で、135里32丁(約533.9キロ)、69宿、東海道よりも40キロ長い山岳地帯をはしる道路である。東海道に比べ川越が無く、女性の道中に好まれたと言う。 |
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1999年10月、健康のために何としても歩かなければ、と目標を決めてやるには「歴史を訪ねる街道はどうか?」と考えた。まず、温泉の多い中山道はと思ったが、これからの季節では寒くなるのでボツ。結局、暖かい東海道となった。 |
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2002年6月9日、東青梅駅から歩くことにした。東青梅駅北口を出てすぐ左折すると旧青梅街道に合流する。旧東海道、旧中山道歩きを通じて、街道沿いの旧跡や食事・休憩場所の旧街道歩きをする立場の案内が無いことに気づいた。当地に住む人たちが知る情報を、何らかの形で紹介されていればな〜といつも思っていた。逆の立場で、私の住む旧青梅街道の案内を書くことで、旧青梅街道を歩く人たちに役立つ情報になれば幸いだ。 |
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