東海道五十三次を歩き終えて


 東海道五十三次を歩き始めて1年目、それまで歩いて感じた事を、広く人に伝えたくて毎日新聞の「みんなの広場」に投稿し、2000年10月8日付の朝刊に掲載された。

「私は、昨年10月から健康の為、東海道五十三次を歩いている。これまで、日本橋から丸子、浜松から藤川まで29宿を踏破した。1〜2泊は四回で、残りは日帰りである。

 歩いた感想は、第一に日本の歴史遺産なのに現存しているのは極一部で、殆どアスファルト敷き、町並みは開発により見る影がない事。第二に、車社会が重く深く感じられる事。地方では車の車庫の存在は気にならなかったが、都会に入ると、密集した家々の駐車場は、まず車の存在が第一の感じ。中には車の一部が、車道にはみ出るものも。第三は、歩くことで感じることが多くなった。歩き、周りを見、五感に感じる。同行者がいれば、思いを言葉に出すが、独りのときはただ思う。第四は、街道や巨木や寺院に接することで、年代が違っても同時代に生きたと言う共有感がもて、過去の歴史が一層身近に感じられたことだ。来年は近世東海道制定以来、400年。それまで、五十三次500キロを完歩したい。」

 

 その後、御油の松並木の先、赤坂の宿を歩いた時、江戸時代からの旅籠屋・大橋屋が現役で今も営業しているのに出会い、驚き、その感動を再び「みんなの広場」に投稿したが今度は採用されなかった。

「旧東海道・赤坂の宿を歩いた折、慶安四年1649年創業、19代続く老舗旅館大橋屋を訪ねた。街道側の建物は、昔のまま保存され、外観、内部、調度品など江戸時代そのままに現役で使われている。広い土間と帳場・長火鉢、太い梁に高い天井、2階の3間つながる襖仕切りの客間。これで五右衛門風呂があると最高だ。

 500m手前の慶長9年1904年、家康が植樹させた御油の600mに及ぶ650本の松並木が今、アスファルト敷きと車の排気ガスの為枯れて、半分ほどが残る。

 大橋屋の主人は、「東名が造られた昭和39年以前は、この辺りは昔の景観が残っていた。」と回想する。開発が身近に迫ることで、文化遺産の保存よりも、当面の経済欲に従う行政を許してしまったツケを、今支払わなければならないのだろうか。当面の便利さだけにとらわれず、文化遺産を保存、復興させる行政のイニシアチブに期待したい。」

 

 とにかく、各地で多彩な人、建物、保存運動との出会いがあり、学び、励まされて、時にはつらかったが、楽しく三条大橋まで来たと言う気がする。

 北品川のとらさん。大磯で出会った「ながみ」採りのバイクのおじさん。蒲原宿の大正時代の洋館、「旧五十嵐歯科医院」を案内してくれた保存会の方、白須賀本陣手前の蔵法寺(潮見観音)のおばあちゃん。桑名の道案内をしてくれた水谷淑子さん。亀山の城郭風の呉服店主下村裕昭・昌子ご夫妻。などなど・・。声を掛けてくださった方、私どものぶしつけな質問や問いかけに答えてくださった皆さんに感謝感謝です。

 


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