マツノヒデマサの東海道五十三次を歩くたび
東海道五十三次を歩く
富士川 〜 興津
2000年3月19〜20日

 2000年3月19〜20日(日〜月)1泊2日で、私は9回目、家内は4回目の東海道歩きになる。午前5時40分に起床。朝食をリュックに詰め込んで、6時25分の列車で東青梅駅を出る。いつものように立川で乗り換えてから、おにぎりをほおばる。川崎、沼津で乗り換え富士川駅で降りる。いつもながら、直前まで何処から歩くか決めていないので、その時の天候や気分で決める。今回は家内の好みに合わせて、眺望、グルメともに満足できる所を選んだ。昨日までの天気予報に反して、晴れ間が見えるいい天気だ。
 真鶴、湯河原、熱海と北側の山の段々畑は、みかんの色が鮮やかで、梅、桜、レンギョウと色とりどり。今日は連休で、現代の宿場は乗降客で賑やかだ。
 10:37富士川駅着。駅前を北上し、旧道を左へ入る。
11:37北条新三郎の墓の標識に出る。右に入り、60メートルほど山に登る。暫く山登りをしていないので足が上がらない。古い墓石と並んで新しい墓石がそれだ。大木の根がしっかり根を張り墓石を抱えている。そこに前に見た顔のおじさんが写真を撮っていた。古い碑の写真を撮っていた荷台のついたバイクのおじさんだった。
静岡とかで、遺跡を調べに時々来るのだと言う。墓石に常楽寺・・の字が読める1569年に武田信玄に攻め込まれ、数千騎が討たれ落城し、今墓がある常楽時にて自刃した。家臣38人とともに葬られた。蒲原城はこの後、徳川の支配下になるまで山縣三郎兵衛昌景が支配していた。
  山梨・川浦温泉山県館の先祖となった武田24将の1人である。
 西へさらに歩くと本町の左手に蒲原宿本陣跡の佐藤栄男宅がある。その200メートル手前の海側60メートル程のところに広重の蒲原宿「夜の雪」の記念碑前で記念写真を撮る。この頃はもう曇っていて富士山は見えない。天保3年(1832年)二人の駕籠屋と一人の按摩を配した里の情景。気候温暖の地になぜ雪景色が、と諸説あり。現在は30年に一度雪が降る程度と言う。

   
 12:36大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」の前をうろうろしていると、50歳位の男性に「ご案内しましょうか?」と声をかけられる。後でわかったことだが、保存会の会員でこの建物を保存しようと運動をしているところだそうだ。観光客が来るのをてぐすね引いて待っていたところか。

    

この建物は歯科医五十嵐準氏が大正3年に開業するに当たり、中央部分を洋館に改装。その後、西側部分昭和14年頃、1年後に東側部分を増築し、一体的な洋館として整備された。地方都市で日本の大工棟梁が独創性を発揮したこと、デザインや細部装飾が優れていること、蒲原宿の歴史的町並みを形成する「要」の建物であることから、様々な活用が期待されている。最近、修復プランが練られ、そのときも幾つかの部屋で会合がもたれていたり、案内がされていた。なんせ古い建物だけに修復に金が掛かり過ぎる。見積もりでは1億2千万円と言う。町では来年東海道400周年記念行事に2,000万円使う予定だが、修復予算はつかないと彼は不満げに言う。中庭は広く、奥の二つ並ぶ土蔵も一見の価値あり。40分程案内して貰う。
 ちょうどお腹がすいたが、探すときに限って食堂が無い。ようやく蒲原駅前の蒲原館という食堂にたどり着く。お客がいっぱいで少し待たされ、相席で座り、餃子ラーメンとエビフライ定食を頼む。餃子ラーメンはラーメンに焼き餃子が入ったもの。エビフライは鮮度がいいせいかぶりぶりしてとてもおいしい。13:40店を出る。他に食堂が無いせいか客は引きも切らず。

いよいよ由比の宿へ。ここはよく東名高速道の通過中に気に留めていたところで、最近は東海道広重美術館やおもしろ宿場館に観光に来ていたところだ。


 旧本陣跡、広重美術館に着くと、その前の店で桜えびのかき揚げの揚げたてを150円で売っている。桜えび入りの厚揚げや甘酒もある。観光客が切れずに買っている。彼等もから揚げと甘酒を所望する。揚げたてにお塩を振りかけて、最高!!鮮度が一番か。由比港桜えび水揚げ高日本一の面目躍如と言うところか。

 美術館入り口で、私の名刺を出して二人のチケットをいただき、鑑賞させていただく。丁度「東海道五拾三次之内(保永堂版)」の版画が揃っていて、版木のすり方を判り易く展示していた。鑑賞しているうちに眠気がさして来た。
    

広重美術館
 出てから、対面の由井正雪の生家となる御染物所紺屋の土間を藍染めのかめを覗いて先を急ぐ。すぐ先におもしろ宿場館の所に喫茶と食事の看板に引き付けられ、二階に上がる。展望の良い所で、500円の生桜えびをわさび醤油で賞味、家内はコーヒーを。由比は流石に桜えびの産地だ。桜えびは体長3〜5センチで世界で駿河湾でしか収穫できないと言う。春と秋の漁期には紅の桜えびを一面にひいて天火干しにする光景は見事だ。
 足も痛み出して、今日泊まる宿が気になってきたので、まず由比の宿から調べる。見晴館は満館、西山旅館は改築中でダメ。清水・静岡と探し、結局静岡の花月旅館にする。駅から10分、4〜5人位入れる大?浴場があること、和室で1泊2食で10,000円以内であること、これらの条件で決定。16:10由比駅到着。電柱の看板に興津温泉の文字が・・・。家内がどうせなら温泉がいい、と言うが今頼んだばかりなので、明日温泉に入ることで我慢してもらう。20分程列車に乗り静岡駅へ。花月旅館で言われた通り、南口の案内図で場所を探す。ここでも温泉の看板が・・・。静岡駅北口、浅間神社の近くに「天然温泉美肌の湯」がある。温泉施設のみらしく、入浴料800円とある。
 花月旅館は徒歩10分の繁華街近く、屋台何がしの大きな居酒屋の隣だ。最上階の4階の角部屋401号室。客が少ないのでお風呂もゆったりできたし、夕食も懐石風でまあまあ。この時のビールの美味しかったこと。
 3月20日(月)2日目、由比宿から興津宿へ。
 8:15には旅館を出て、静岡駅へ。由比駅まで戻り、9:00頃から歩き始める。連休のせいか観光客が同じく西へ向かう。皆カメラを持つ。2キロも行くと東倉沢の集落に着く。かつて名主の小池邸は整備復元されているが、10時からの開館なので見ることが出来ない。すぐはす向かいに、東海道あかり博物館があり、写真のみを撮る。山岡鉄舟ゆかりの望嶽亭藤屋、一里塚を抜け、いよいよ薩捶峠の登り口だ。9:30段々畑のびわ・みかん・いよかんなどの豊かな実りを愛で楽しみながら、登り続ける。ここは海に迫る断崖の下を通る難所で「親知らず子知らず」と呼ばれた。過去に2回の戦が、1351年足利尊氏と直義兄弟が、又、戦国時代に武田氏と今川氏の三度にわたる合戦で武田が勝利を治める。
 10:00薩捶峠頂上。振り返ると晴天の空に、裾野広い綿帽子の見事な富士山。眼下にコバルトブルーの駿河湾に、高速船が疾走する水しぶきの白さが映える。我等を追いかけてくるのは、車のみ。歩く人はいない。頂上の展望台で休み、そこからのハイキングコースとあるのを、東海道とは書いてなかったので、戻って「興津へ」と標識の方へ歩く。急な下りで日当たりの悪い、登りとは対称的な環境だ。暫く降りて興津川通りに出る。ここで、地図と合わないことに気が付き、角の民家で旧東海道の道筋を聞いた。相当北側に降りてきたようだ。海岸よりに歩き、東海道線をくぐり、突き当たりの左側の人形店を右折し興津川を渡る。

 
 暫く行くと、ガソリンスタンドで、興津温泉の場所を聞いた。昨日、由比駅で見受けた看板のところだ。丁度そこは国道52号線の起点で、甲府・身延方面に通ずる所だ。スタンドマンは「ここから10分位ですよ。」とおっしゃるので行くことにした。だが、そこは立派な温泉の看板を使っているにもかかわらず、温泉ではなかった。がっかりだ。また戻って興津宿へ。途中、一里塚を過ぎ、いったん興津駅前を通過し、東本陣跡、西本陣跡一碧楼水口屋に着く。水口屋はアメリカ人スタットラーの「ニッポン歴史の宿」で有名になり、外国人の宿泊客が多かったようだが、今は営業していない。400メートル先西に行くと、今回最後の見学地清見寺。
 清見寺前信号をさらに西100メートルの所が清見寺。
山門をくぐり、線路を越して丘上の寺内に入る。山門のところで、夫婦らしきおばさんに声をかけられる。「ぜひ、声をかけて本堂に入り庭園を見なさい。」ご忠告の通り、本堂前の家康が接木をしたという臥龍梅を見ながら、拝観させて貰う。

    

 清見寺の創建は、弘長元年(1261年)関聖明元が開山。その後、今川義元が再興。又、天文8年(1539年)今川義元の軍師だった太源崇孚が再興。この太源に学んだのが、今川の人質時代の家康。本殿大方丈の裏に、当時の家康の3畳程の手習いの間がそのまま保存されている。この柱、欄間、床を家康公が触っていたと思うとつい手を伸ばして擦ってみる。

 時あたかも、NHKの大河ドラマ「葵〜徳川三代〜」の放送中。静岡「葵博」開催中で、この目的である「家康の生きた時代を身近に体験できるよう」造られたセットより、遥かに生々しく家康の時代を肌で感じさせてくれる。

 裏山を借景として庭園がある。江戸時代初期、山本道斉によって築庭された。家康公も好んで愛でて、駿府城から虎石、亀石、牛石を移して配した。
庭前の手入れの行き届いた砂利盛りも美しい。二階の休憩の間で休み、写真も撮った。仏殿の参拝、隣の江戸時代中期のものと言われる、五百羅漢を愛でる。
 参拝が終わると、今回の旅の目的が終了したとの思いからか、足が軽くなった。いや、ビールが飲めるぞ、と言う気分か?興津駅まで戻り、とんかつ屋に飛び込む。生ビールにとんかつを賞味し、露天で買った一袋200円のみかんをデザートに頬張る。
 13:35分発の沼津行きに乗り、9回目の旧東海道を歩く旅も、感慨深く無事終了。



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