東海道五十三次を歩く
8回・・・保土谷〜藤沢

 

 
2000年2月13日、JR東京駅より東海道線で33分、午前9時13分保土ヶ谷駅着。西口に出て旧東海道に合流する。保土ヶ谷宿は、品川・川崎・神奈川に次ぐ宿場で約33キロ、昔は江戸を出発して泊まるには近すぎ、女・年寄りには丁度よい宿場だと言われる。踏切を横断すると、すぐ保土ヶ谷宿本陣跡、軽部吉久の表札がある。

 戸川神社を過ぎて、山門の入り口に梅の古木に花を付ける樹源寺、境内には百日紅の大木が4本、根回りが50センチはある。サラの木は上部が6本に分かれている。建物は開港の頃のものだとか。

 T字の交差点を左折、いよいよ長い権太坂が始まる。10時10分、かつて名物牡丹餅を作っていた旧家若林家はりっぱな門構えに、でんと大邸宅の姿を見せる。碑は無い。隣は境木延命寺蔵尊で武蔵と相模の国の境にあり、江戸時代に泥棒除けで有名だった。お堂の中がガラスで光ってよく見えない。入り口にあった赤い帽子と前掛けをかけた2体のお地蔵さんは、時代が古そうだ。本尊とは時代が異なるのだろうか。やがて国道と合流し、11時04分、モチの巨木のある益田家に着く。高い石垣の上に高さ20m、胸高周囲2.4m、根回り3.1m、樹齢500年という大変な古木。行き交う人々を500年も見下ろしていたんだ。ブリジストン横浜工場の先ファミリーレストランの植え込みに、戸塚宿入り口江戸方見付跡の碑がある。吉田大橋の手前で、広重が保永堂版で描いた戸塚の茶屋の風景を描いた。11時30分戸塚駅東口入り口を通過。商店街の踏切を越して清源院長林寺、この寺の創建者で家康の側室於万の方の供養碑がある。安政5年(1858年)に建てられた。この先民家の表札を見ると、長林家、日出山家等珍しい名が続く。

11時45分中華食堂に入り、そさくさとニラいため定食を食べる。商店街の一角に床屋の旗がたなびき、値段の安さに驚き、さっと二階に吸い込まれる。わずか40分の急仕立てだが、1600円とは驚いた。しばらく3キロも歩くと国道に合流する頃、江戸から11番目の塚・原宿町一里塚、対面に鎮守・浅間神社があり、シイの古木がみごと。神社正面に車が駐車中で写真を撮るのに邪魔だ。

原宿バス停前の近所は珍名さん?が多い。枝家の先は、森家の大邸宅。13時58分、ようやく諏訪神社に着く。相当足に来ている。14時08分、鉄砲宿バス停、いよいよ藤沢宿に入る。右手に東海道の名刹時宗総本山遊行寺が、向かいの小高い丘に諏訪神社が見えてくる。遊行寺(ゆぎょうじ)は正式には「(とう)沢山(たくさん)無量(むりょう)光院(こういん)清浄(しょうじょう)光寺(こうじ)」という長い名称。広い境内には、樹齢700年を超えるイチョウの古木(雄株)が鎮座し、本堂正面には時宗開祖一遍上人の像が立つ。孔雀門や本堂の彫り物はすばらしい。時宗は一遍上人が開いたが、遊行寺は正中2年(1325年)呑海上人によって創建された。後醍後天皇像や国宝一遍聖絵などを収蔵する宝物館を見学させてもらった。境内には沢山の鳩がえさをついばみ、紅梅が穏やかな天候に映える。のどかな幸せを感じる場面だ。14時54分、寺を出て遊行寺橋から旧道を分かれて、藤沢駅へ向かう。

 

 




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