東海道五十三次を歩く第20回
丸子〜藤枝
 1泊2日夜行1泊

 しばらく振りに家内を同行しての東海道歩きになる。2000年11月22日、仕事が終わって午後6時頃、ホンダCRVで出発する。夜行になるので、念のため毛布と寝袋を用意する。東海道歩きも私は20回を数えるが、自動車でのアクセスは始めての経験だ。

 次女の薫に事前におにぎりを作ってもらい、おかずやお茶用のお湯を持参の列車でのアクセスと基本は変らない。八王子、河口湖、御殿場を経由しての静岡行きだが、夜も5時半を過ぎるともうすっかり暗くなり、運転もしんどくなる。

 21時頃東名静岡インターを折り、「銭湯でもあればいいね。」といっていた所に、国道一号線に向う途中、左手に「スーパー藤の湯」の看板を発見し、迷わず飛び込む。ゲームセンターやパチンコ店が隣接している大型クアハウスと言う所か。平日料金の400円を支払い、入場する。サウナ、塩サウナ、露天風呂なども完備の立派なものだが、温泉ではなく湯の肌触りがどうもべたつく感じだ。たらい意外は、石鹸、シャンプーなど皆有料。1時間ほど入浴、休憩して丸子宿先の道の駅「宇津ノ谷峠」へ向う。前に丸子宿までは歩いたので、そこから歩きたいが、車の駐車場の関係で道の駅から歩き、藤枝か島田宿まで行き、そこから丸子宿まで移動し、丸子宿でとろろ汁を賞味した後、道の駅に置いてある車まで歩けば一番無駄がないかな、との予定だった。

 翌朝、朝食後7時15分歩き始める。国道一号線の激しい騒音の中、宇津ノ峠の手前で右に折れ、旧道に入る。狭い山間の道で、山の見上げる所にまで、茶畑が巨大な青虫の寝床みたいに美しく見える。更にその上にみかん畑が・・・。宇津ノ谷の集落の軒先には、.昔の屋号がかけられる。豊臣秀吉が残したと言われる陣羽織がある、石川家の「お羽織屋」も右手に昔の風情を残す。旧道の看板に沿っていき、いよいよ山道の上りにかかる。すぐ、地蔵堂跡に出るが、ただ根周り3mはあるいちょうの古木が残るだけ。7時58分には峠を越す。急な坂ではあったが、もっと長い距離を歩くかと思いきや、意外に短い。途中の竹の林は見事だ。竹の子狩りはどうしているのかなどと、余計な心配をしてしまう。江戸時代末期の十石坂観音堂に参拝し、8時40分、岡部宿へ到着。

 この辺り、今日はマラソンか何かがあるそうで、休みなのに何かあわただしい雰囲気だ。岡部宿は何も残っていないのか?と思っていると、旅籠屋風の建物で3〜4人の男性が、開館の準備をしている所に出会った。「見られますか?」と聞くと「まだです。」とのお答えが・・・。この建物が、国登録有形文化財指定、大旅籠柏屋で、主屋2,382坪、天保7年建築だと言う。正面を見る限りでは、160年も経っているとは思えないが。

 一キロもいくと、五智如来像に出る。かつて田中城主内藤紀伊守の娘に、口の不自由な姫がいた.この姫が、誓願寺にあったこの如来像に願をかけた所、口が利けるようになったと言う。前列に5体、後列に5体あり、後列のが傷みがひどい。あとで、お菓子屋の女将に聞くと、屋根なしの如来様は傷みがひどいのでは、と言うが、ではどうして10体でも「五智如来」なのか。五智とは、釈迦如来、阿閦(あしゅく)如来(にょらい)、大日如来、宝生如来、阿弥陀如来というのだが、二対ずつあるということか?すぐ斜向いの喫茶店でコーヒーでもと思ったが、休業中で隣のお菓子屋「すぎやま」で、抹茶に和菓子、丹波の栗まんじゅうの「小僧」とうちの特製よと薦められた、しろあんどらやきをいただいた。

 松並木が300mほど続く。岡部は、玉露の生産地として知られ、途中右手に「2キロ先、玉露の里」の看板が出る。藤枝市に入り、横内橋、八幡橋を過ぎ、須賀神社の大楠に出る。「これはすごい!」県指定の天然記念物で、根周り15.2cm、高さ23.7mと言う見事さ。幹は空洞らしく、修理でふさがれているが、昔なら竪穴住居みたいに、10人くらいは住める規模だ。この辺り10時30分、足腰が痛くなり、藤岡入口バス停のベンチで休憩。

 15分歩くと、静岡県唯一の成田山。慶弔年間、照光院と言う名の寺であったが、後に休息寺、また廃寺となり、明治初年、千葉成田山の分身を勧請した。10時52分、旧藤枝宿の本町2丁目の郵便局着。ここで、家内は、腰が痛く島田宿まで持ちそうもないと言うので、藤枝までとしバスで丸子の宿まで行く事にする。「白子バス停」前の菓子屋で、「静鉄のパサールカードが1000円で1300円分使えるから、お徳よ。」と教えてもらい、購入。10時57分発に乗車。これまで、延々3時間半かけて13キロ歩いてきた道をバスで戻ると、わずか20分で通過してしまう。

 11時25分、丸子宿の丁子屋のそばに到着。安部川を肩車で渡った弥次喜多は、この丁子屋に入り、とろろ汁を注文した。ところが支度中に夫婦喧嘩で、店の亭主は擂粉木で女房を殴り、女房はとろろ汁の入った擂鉢を亭主に投げつけると言う大騒動で、弥次喜多は結局、とろろ汁を食べられなかったというあの店である。萱葺き屋根の母屋の土間に続く間で、靴を脱ぎ上がらせて貰う。1500円の「つたの細道」と生ビールを頼む。お櫃に麦飯御飯、擂鉢どんぶりにとろろ汁、マグロの角煮、畳いわしに麩が入った白味噌汁、ビールのつまみにむかごのから揚げがついた。美味しくてついつるつると御飯のお代わりをしてしまった。昔ながらの店内の風情に感心しながら、いい気分の食事だったが、何せすぐそばが国道一号線で、大型トラックの「グオーグオー」と言う騒音がすごい。今風の鉄筋や新建材の建物では風情はないし、何とか方法はないのか!今の建物は、昭和46年に元の建物を取り壊し、丸子の西の大たらにあった古民具を移築したものだ。店の横には、芭蕉が詠んだ「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」の碑がある。この句は、元禄4年(1691年)正月に詠まれ、その後この句に誘われて訪れた人は多く、丸子宿にとって大きな存在だったに違いない。店の前では、近くの喫茶店の客引きの女性二人が、丁子屋から出てくる客に「ここから3分だから、よってらっしゃい。」と声をかけている。

 丁子屋を出て、丸子橋を渡る手前右手500m奥には、戦国時代の連歌師・宗長ゆかりの吐月峰柴屋寺があるが、余分に歩く所はパス、とにかく車を駐車してある道の駅「宇津ノ谷峠」まで一目散。半日車を置きっぱなしで大丈夫かと心配だったが、無事だった。これで今日は、丸子宿から藤枝宿まで歩いたことになる。帰りに途中、誓願寺に立ち寄り、静岡インターから東名、富士インターで降り、朝霧高原、河口湖経由して、自宅には18時頃到着した。(マツノヒデマサ)




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