東海道五十三次を歩く第19回
庄野〜坂下 2泊3日夜行2泊

2000年11月18日

 2000年11月18日、ほぼ1ヶ月ぶりの歩きだ。夜行はハイウエイバスでのアクセスは三度目になる。今度は薬局で、耳栓を調達しての万全の用意だ。池袋駅東口22時20分発で、今回は三重県の津駅まで。翌19日、津駅前6時15分着、近鉄線と乗り入れており、近鉄の売店で、明石名物「たこの味めし」を購入、熱いお茶と電車内で朝食。たこの味めしには、ナイフがついてはいたが、そのままがぶりついたので、いまいち、風情に欠けるかな。亀山駅で乗り変え、加佐登駅到着。前回旧道から離れた所に合流するが、東からまぶしい太陽が照りつける。

 7時25分、旧小林家住宅、庄野宿資料館に着くが、朝早く勿論閉館中で、正面には「東海道五拾三次庄野」の浮世絵が描かれている。国道に合流する前に、迂回して堰に沿って国道を横断する変な道だ。突き当たりが安楽川、手前左手が川俣神社、左に回りこんで和泉橋を渡る。河原が広く蛇行する川の流れが美しい。

JR線踏み切り手前、極楽山地福寺でトイレを借用し、朝のつかえをスッキリさせる。


 この寺は永禄11年(1568年)織田の戦火で焼失し、1677年再建し阿弥陀如来を祀る。井田川駅前を通過、8時50分にいかにも古さが感じられる「南無妙法蓮華経」と書かれた谷口法悦供養塔。かつて刑場だったそうだ。 

 伊勢七福神の一番札所、石上寺、延暦15年(798年)、鎌倉・室町時代の古文書21点が残る。椿の古木が見事、段上に「仁王護国般若経石塚」と書いた碑が見える。ここで、後ろから12〜13名の年配のグループが追いついてきた。声をかけられたので聞いてみると、東京の人たちで、2年前の2月から日本橋から京都へめざしている「はいからカルチャークラブ」の面々だ。ハイカラ風のおじいさんの「1人で来れるなんてうらやましい。」との声を背に彼らと分かれる。

 整備されて小公園になっている和田一里塚を過ぎ、「亀山ローソク前」と言うバス停に興味を惹かれ、株式会社亀山の会社の守衛さんに声をかける。亀山は洋ローソクの大生産地で国内生産量の75パーセントを占めるらしい。そこで駅前にあるとガイドブックに書いてあるお店にも立ち寄ることにした。

 本町三丁目に城郭風の店舗が現れた。5階建ての立派なもので、1階は呉服を扱っているようだ。御主人の下村裕昭さんに声をかけると、呉服屋「衣城しもむら」で、三代目90年の歴史をもつ。
初代が料理屋の土地を買い取り、この地で呉服屋を始め、昭和52年に当時4千万円をかけて造ったと言う。

旧東海道を訪ねてくれる旅人を大切にと、「市に清潔なトイレを街道に造ることを提案しているんだが・・」と郷里の歴史遺産散逸を憂い語ってくれる。奥様の下村昌子さんにお茶を出していただき、うれしい時間を過ごさせていただいた。

T字路を右折し、新しい商店街に出る。その突き当りが亀山城跡で、石垣と多門櫓が晴天の青空に映えてとても美しい。

 洋ロウソクを求めて、亀山駅へと急ぐ。亀山駅前はかなり寂れた風だが、タクシーとバス乗り場があり、この辺りの交通の要所と言う所か。

 肝心の洋ロウソクのカメヤマキャンドル駅前店は、この春バイパス通りに移転したばかりだった。駅前の食堂でざるそばを食べ、500m西の洋ロウソク店へ行き、ロウソクのサンタクロースを幾つか購入。下村氏に薦められた亀山市歴史博物館に行く為、何人かの人に道を訪ねる。こうした時、歩きはこたえる。何度も行き来をすることになる。

 歴史博物館は今日、生涯教育フェステバル開催中のせいか、無料で見られた。公園では各種イベントが実施され、杵で搗かれた黄な粉もち、辛味もちをご馳走になった。博物館の案内の女性に坂下宿まで行きたい旨相談すると、坂下からの交通の便が少ないので、坂下からの16時10分発のバスにこだわらずに、亀山駅発12時40分発のバスがあるからそれに乗ったらどうか、とアドバイスされ、それに従った。

 亀山駅に、はいからカルチャークラブの面々がいた。予定時刻に出発、関駅前を通過し鈴鹿峠手前の坂下に、13時02分到着。下りてから、若いバスの運転手に、「松屋本陣跡はどこですか?」と聞くと、わからないと言う返事。ふっとバス停の足元を見ると、松屋本陣跡の碑があった。相当登りきった所で、鈴鹿川に沿った谷間が続く。そこから下り始め、10分もすると、先ほどのバスが戻ってきて、バスの運転手がドアを開け、「下まで乗りませんか?」と言う。「いや、私は歩かなければダメなんです。」とお断りした次第。他人から見ると、乗ってきた所からまた戻るのだから理解できないのかも。


右手に国道一号線とバイパスが通り、山にこだましてうるさい。狭い地形にお茶の木が目だち、茶の花が見られる。マンホールの絵柄は、きじ、鹿、ボタン?で周りを木の絵文字で囲んでいる。いかにもこの地らしいトレードマークだ。14時30分頃関宿西追分に着く。さあ、いよいよ関宿の始まりだ。江戸時代の旅人も追分にきて、宿場に入るうきうきした気分だったに違いない。


地蔵院と愛染堂、天平13年(741年)行基が地藏を安置し、享徳元年(1452年)愛染堂の大修理の時、開眼供養したのが一休禅師だったというから、誰もがなじみの遺跡となる。

  


山菜おこわで有名なかつての旅籠屋会津屋で、湧き水特製コーヒーをいただく。天候に恵まれたせいか、宿場の人ごみは大変なものだ。

 旅籠屋玉屋歴史資料館や関まちなみ資料館を見学する。玉屋は流石に、江戸時代の旅籠屋の資料を利用、展示して資料的にすばらしい。赤坂の大橋屋のように、現役で旅籠屋をやっていて欲しかった。

   
銘菓「関の戸」の店の前には、買い物客が並んでいた。関宿は、江戸から47番目の宿場で、1.8キロにわたり江戸時代から明治時代にかけて建てられた歴史的な町並みが残る唯一のもの。
 
     

昭和59年に国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定された。 9時間も歩くと、いよいよ足腰が痛み、資料館で靴を脱ぐのがつらい。

15時40分、東追分着。ここは伊勢別街道の分岐点で、大きな常夜灯、伊勢神宮の大鳥居が集う。17時05分、つ、ついに亀山駅に到着。今日3度目だ。津駅へは17時50分発で、時間待ちに売店でワンカップの酒とするめでしのぐ。
 

 ハイウエイバスの時間待ちも大変で、銭湯でゆっくりしても1時間位。つい夕食は時間をかけて飲んでしまうので高くついてしまう。耳栓は、休憩場所に着いても停車音や乗降客の騒音のわずかな音では気がつかないので、乗り過ごす危険があることが分かった。何事にも、効用と弊害があるものだ。


谷口法悦供養等 395  
地蔵院     408
旅籠屋玉屋歴史資料館  404
宿場(関宿)の人ごみは大変なものだ 405 
銘菓「関の戸」の店の前    406
関宿東追分  407


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