旧東海道を歩く第10回

東海道五十三次を歩く
興津宿から丸子宿
一泊二日の旅 2000年4月1日〜2日


 先週に続き、東青梅駅から青春キップで朝7時20分頃改札を通過。私は10回目、家内は5回目。南武線の立川で乗換え、すぐ用意したお弁当を食べようとしたが、乗客が多く、勇気が無く川崎に着くまでお預けだ。熱海行きの東海道線の対面席で、ようやく朝食。

 天候は快晴。今日は先週の続きで、興津から府中(静岡)までの予定。熱海で乗換え、春休みの土曜日なのか大混雑、道路もぎっしり。沼津で4分停車、ホームの看板に「魚河岸鮨グループ」が目に付く。沼津、富士、清水、と港町らしい看板で食い意地を誘う。京都三条大橋まで踏破するのに、このあたりの駅は何回通過することになるのだろうか。

 興津駅着、12:02。バスで2区間、清見寺前まで、先週も訪ねた見覚えのある風景だ。本日も晴天なり。清見寺山門の額「東海名區」の白文字がくっきりと目立つ。

 常夜灯、延命寺、東光寺を過ぎ、大きくカーブし庵原川を渡ると和食処の看板。ずっと食事場所を探していたので、12:45、大きな平屋のいかにも和食風の榊屋(0543−66−0187)に入店。上刺身定食とネギトロ定食を注文。それぞれ900円、680円と言う安さで、お客がひっきりなしに来るのは、安くて美味しいからか。広々としたスペース、吊り照明は行灯風、落ち着ける店だ。デザートに、興津駅前の和菓子屋で買った栗生菓子「栗一口」を賞味。12:15発、十数分行くと田村石材店でY字路右折、暫く清水旧道商店街を通る。どの店も安い、魚屋で1パックの中とろ400円、いわしの刺身200円。釜揚げしらすや生しらすも美味しいそうだ。江浄寺のすぐさきの郵便局を右折、400メートルも行くと突き当たりが魚町稲荷神社、この奥が江尻城跡。手前の稚児橋を渡る。長崎カステラの看板を右折、桜橋の大きな国道一号線交差点に出る。左に行くと三保の松原、そこを直進して、追分羊羹店へ。

      

 竹皮に包まれた昔ながらの味、お茶を所望したが、予約が無ければ出来かねるとかで、お断り。二個だけ購入。水戸黄門東海道シリーズで、この店でロケをしたのか、4月3日の放送に乞うご期待との張り紙があった。

14:30出発。 暫く行くと、都田の吉兵衛の供養塔がある。吉兵衛は通称「都鳥」と呼ばれた侠客で、清水次郎長の子分、森の石松を殺した為、その報復にこの追分で討取られた。金谷橋の袂、元追分14:32.上り坂を登りきったところに「久能山觀音道」標。久能寺は元久能山にあったが、甲斐の武田信玄が今川義元攻略の為、久能城を築城。その為に、天正3年(1575年)現在の位置に移築されたもの。左手に遠く霞みがかった日本平の鉄塔が見える。草薙神社の大鳥居を15:15に通過。東名高速のガードをくぐり、静岡鉄道総合運動公園駅を通過し、東海道本線の線路脇に出る。どこか美味しいコーヒーを飲もうと、休憩場所を求めてきたがとうとう見つからず、ここまで来てしまった。

 旧東海道の記念碑のところの駐車場に座り込んで、清水市内で買った一袋100円のみかんでのどを潤し、休憩する。JRガードをくぐり、後久橋に至る。汚れた川に大きな鯉が沢山いる。手をパンパンと打つと橋下に寄ってくる。手持ちのパンをちぎって投げると、のんびりしている鯉を差し置き、遠くからアヒルが二羽寄ってきて、そのパンの殆どを横取りしてしまった。みかんの細かく切った皮は食べない。

 そのあと一旦、国道一号線長沼交差点に合流し、右折しすぐ左折し1.5キロメートル歩く。再び国道一号線に合流し、ひとかど早く左折してしまったので、工場の構内に入ってしまい、東海道線を横切ることが出来ない。丁度、納品にきたトラックの運転手に聞いて、柚木駅(ゆのきえき)を左折して、ガードをくぐり、すぐ右折し、曲金1丁目を線路沿いに進み、再び線路の下を抜け横田町から伝馬町に入る。ようやく駿府府中の宿まで来た。

 徳川家康は将軍職を辞してから、慶長12年(1607年)〜元和2年(1616年)まで駿府で大御所政治を行う。当時の人口は1万人程だったと言う。新静岡駅の手前のマイホテルで空室状況を尋ねる。ここは満室で、もっと静岡駅に近い所のホテルよしみを紹介して貰う。朝食つきの7,000円の条件で承諾。早速先週行くことが出来なかった美肌の湯(びじんゆ)出かけることにした。
静岡駅ターミナルから静鉄バス安倍・美和線に乗車。「妙見下」バス停前で下車する、約20分。今日は祭りで、駅から県庁まで踊りのパレードがあり、浅間神社の参道では夜店で賑っていた。

 美肌の湯(びじんゆ)は、最近ボーリングしたばかりで、2つの源泉がある。42.3度のナトリウム塩化物泉と29.1度の含硫黄・炭酸水素泉の全く異なる泉質だ。湯舟は5つあり、サウナ、打たせ湯、超音波風呂、30度の低温リラックス風呂等広いスペースにゆったりできる。家内とは、1時間後と時間を決めて入浴。私はカラスの行水なので、上がってからロビーで新聞を読み、T・Vで野球中継を見て時間をつぶすが、家内は一向に戻ってこない。バスの時間が迫っているので、浴室を出入りしているおばさんに、「時間が過ぎても出てこないので、倒れているかも知れないから見てきて欲しい。」と頼んでいると、ようやく出てきた。バス停まで駆けて、危うくセーフだ。

 帰途、途中下車して踊りのパレードを見ることにした。子供たちに踊りを教える参考になるとか。再びバスで静岡駅に戻り、ホテルのおかみさんに教えてもらった6階の魚河岸寿司に直行。評判が良いらしく、行列を作っている。まず生ビールで乾杯。大関寿司とチラシ寿司、あんきも、たこのから揚げを所望。冷酒を追加して9時の閉店まで楽しんで余は満足じゃ。

 4月2日、二日目の朝、府中の宿までのガイドブックしか用意してなかったので、まず、娘の薫を7時に携帯電話で起こし、「東海道五十三次を歩く」の府中の宿以降のページをコピーしてファックスで宿まで送るよう頼んだ。全く便利な世の中になったものだ。   

 宿のおかみさんと話をして分かったこと。4月1日から浅間神社の廿日会(はつかえかい)祭で、参道に露店が並ぶ。昨日美人の湯の往復で観たとおりだ。住吉公園では静岡祭りが行われ、踊りや山車が出ること。今日、日本平マラソンが行われ、参加するランナーや家族の応援団の宿泊客が多かったこと。ホテルよしみの隣りの珠賀美神社で安全祈願の参拝。向かいの金剛山宝泰禅寺にも詣でる。

1381年(永徳元年)創建。興津の清見寺とともに駿河三名刹といわれる。宿のおかみに庭園が美しいと言われていたので、中庭に入る。
 手入れが行き届いていて、美しいだけでなく、かわいいわらべ地蔵があちこちに。右手が天を指しているもの、アッカンベーをしているもの、寝転がって頰づえをしているもの、じゃんけんをしているもの、なんと愛らしい。池には錦鯉が群れる。

 社務所が閉ざされていて帰ろうとした所へ、若い女性が社務所に入って、又すぐ出てきたので、声をかけてみた。

 彼女は「声をかけてあげましょ。」と社務所に案内してくれた。わらべ地蔵の事を質問すると、わらべ地蔵は現住職藤原東演氏のご子息が幼く亡くなられたので、供養のためにお造りになったと言う。20年前からでもう40体を数え、石彫家杉村孝氏の作になる。

      

 大都市で、旧東海道を探しながら歩くのは大変なことで、御幸町、呉服町で道を尋ねる。出勤途中の人、ひもに結ばれた大きな猫と戯れるお店のおじさんなど。「丸子の宿まで3時間かかるよ。頑張って。」などと励まされる。何せ、東海道を歩くなんて人は我らの他にはいないので、珍しがられる。家内は朝食後のコーヒーがないと気持ちが悪いと言うので、エトワールのコーヒーに立ち寄る。奥に入ると、広いテーブルに広い空間、180円のコーヒーで贅沢な時間を過ごす。
  安部川が遠くに見える辺りで、先ほどのコーヒーが効いたのか、大がもよおしてきた。弥勒2丁目公園のトイレを使わせてもらう。ロール紙がキチンと設置されていた。

 じきすぐ、安部川餅のお店が並ぶ。店構えがいかにも元祖安倍川餅らしい石部屋(せきべや)で一人前(500円)注文する。昔の建物風の土間で靴を脱ぎ、年代物のちゃぶ台でいただく。
 ウオークラリーの静岡県内の宿場案内ガイドを500円で購入し、千円札でおつりを500円貰う。この時、家内は安部川餅のお代も支払ったと思ったらしい。懐かしい味を楽しんだ後、私が先に店を出た。家内も「どうもご馳走様。」と店を出ようとしたら、「お代をまだいただいておりません。」と語気強く言われ、無銭飲食するところだった、と私にぷんぷん。
 ところで安部川餅は、家康がこの川の上流にあった金山を巡視した際、ある人物が黄な粉餅を献上した。家康がその餅の名を尋ねると、「安部川の金な粉餅」と答えて喜ばれたのが、安部川餅の由来と伝えられる。

 すぐ安倍川を渡る。昔は川越人足によってかを渡ったが、今は河原のグランドで少年達がサッカーの試合をやっているのを見物しながらの川越えだ。11:23本陣跡、すぐとろろの丁子屋に着く。ここは大型バスの観光で何度か来ているので見覚えのある風景だ。

        

 「うめ若菜 丸子の宿のとろろ汁」と芭蕉が詠んだ、又広重の浮世絵そのままの時代にタイムスリップしたようだ。茅葺屋根の茶屋風の造りで懐かしい。とても混んでいるので、とろろ汁は次回の楽しみに残しておこう。日本紅茶の発祥とかの丸子紅茶を土産に買って帰ることにする。国道一号線のバス停(11:56発)から静岡駅方面に向かう。静岡市内は祭りで混んでいるので、12:30伝馬町で下車。加匠庵浜松屋と言う蕎麦処で天おろしそば、とろろそば、わかめや野菜が入った特選サラダを注文、2420円也。駅構内も祭り気分で、ジュエリーの特別セールとかで、売り子さんは展示台にある金、銀、真珠のネックレスを「今日だけ特別皆千円!」と声を枯らす。家内も値段の誘惑に勝てず、本当に本物かなといぶかりながら、3個もゲットしてしまった。 家内は当初、私が健康のために東海道を歩く、と言うと「近所を歩けば、交通費がかからず済むのに。」と全くしょうがないと言う顔をしていた。ところが、前回辺りから歩くだけでなく、歴史が学べて、しかも身近に体現できる。その土地の名産、生産地の様子やグルメが楽しめる。お寺の住職のお母さんに声をかけられ、寺の歴史や寺を守る人達のご苦労に接することが出来たり、大正時代の建築物保存の運動に接したり、実に多くの人達と関わりを持つ事となった。これがとても面白い、と「今度は、歩く前に事前にせめて歴史を調べてから歩きたい。」と言うまでになった。旧道を歩く魅力は、私にとっても汲めども汲めども尽きない、と言う実感だ。



写真の位置は、追分羊羹店へ。・・・・・・・128
       「美肌の湯」に出かける・・・131
       向かいの金剛山泰禅寺の・・・132・133
       元祖安倍川餅らしい・・・・・134・135
       とろろの丁子屋・・・・・・・136










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