色刷りの感じや記述されている宿泊代金の1泊1円から2円50銭から、昭和初期のパンフレット。 縦17.5×横24.3cm 写真:020,021
法師温泉:前川千帆挿絵入りパンフレット 宿泊代金が1泊400円〜1200円であることや前川千帆の経歴から推して、昭和30年前後のパンフレットだろうか。明治21年生まれの前川千帆は、1919年(大正8年)版画家として第一回創作版画協会展にはじめて出展する。「温泉場の雰囲気を好み、庶人浴泉生活に情趣に興を感ずること多し、浴泉譜の画業をなす由縁なり」と紹介された「版画 浴泉譜」の発行は、昭和29年(1954年)10月である。 商品番号10 縦15×横22.8cm 写真:016,018
法師温泉小冊子パンフレット。 小望価格:三点セットで12,000円 縦17.8×横12.5cm×28ページ 商品番号11 昭和7年(1932年)10月15日発行記名の小冊子パンフレットは、28ページ建てで、編者は上田三四郎、発行は東京小石川区の旅人社、印刷は万月堂印刷所。表紙は漫画家・版画家の前川千帆による長寿館の大浴場の挿絵で飾られている。巻頭言は川端康成の「山祈る 太古の民の寂心 今日新にす 法師湯にして」 紹介文は、歌人の柳原白蓮、詩人・随筆家の尾崎喜八、小説家宮地嘉六、日本山岳会三代目会長・登山家木暮理太郎、森川憲之助、ジャーナリスト石川欣一、秋風嶺生、若山牧水の「みなかみ紀行」の一節、尾山篤二郎、池谷信三郎、与謝野寛、与謝野晶子、岡村夕霧の詩歌を掲載。最後に沼田五郎が法師温泉の沿革、費用、交通を紹介している。 当時33歳の川端康成は、1926年に「伊豆の踊り子」を発表していて、その6年後。「雪国」は、さらにその後3年の1935年に発表。 柳原白蓮は、大正3美人といわれ、大正天皇の従妹にあたり、歌人として私人として何かとマスコミを騒がせた人物である。若山牧水は1928年に43歳の若さでなくなっている。与謝野寛は、62歳で亡くなり、その3年前に当たる。とにかくこの時代のそうそうたる人物を集めた法師温泉長寿館の宣伝冊子といえる。当時の宿泊料が1泊1円か1円50銭の時代に10銭だった。 写真:表紙024、裏表紙027、巻頭言025
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