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旧 青 梅 街 道 を 歩 く 第5回
川井から奥多摩 
 
20032月9
 


     奥多摩駅
                   奥多摩駅

 前回、せせらぎの里美術館から国道411号線を最短距離できてしまったが、旧道は北側を迂回することが解り、そこまで戻って歩くことにした。2003年2月9日、川井駅から歩いてせせらぎの里美術館の手前400mまで戻ると、左手に白い蔵があり、そこが右折の入り口かと入り、大きくカーブする道を行くと行き止まり。清水宅で道を聞くと、「神塚神社はもっと200m先だよ」と教えてくれる。教えられた森腰橋を過ぎ、狭い道を右折、階段を上り踏切を超える。確かに左手に小さな神塚(かずか)神社が見える。


室町期の五輪塔
都教委調査の郷土史によると、この地は中世より「オマエ」集落で藤野一族により開かれ、室町期の五輪塔があるという。確かに8軒の内7軒が藤野姓だ。五輪塔探しで、本家筋の藤野敦子さんに声をかけると、「五輪塔の話は聞いたことがない。ここに昔池があったことは聞いたことがある」と自宅のお墓に案内してくれたが、五輪塔はない。2軒隣の物置の裏に五輪塔4基と4輪塔が1基あった。郷土史に記されている「オマエ」集落ではなく「大前」は本家藤野家の屋号だった。彼女は4人兄弟の次女だそうで、しばらくご先祖ルーツ談議に花が咲いた。

線路下のトンネルをくぐり国道に合流し脇に供養塔のある川井橋を渡る。その橋の手前右が川井駅になる。100mも行き右折(古里中学校の看板あり)すると、。


旧坂の村八幡神社
じきに小さな地蔵群があり旧坂の村八幡神社の入り口となる。見上げると、繁った森に囲まれた寄棟造茅葺楼門建舞台がある。再び国道に戻り、古里駅前の信号に着く。13時15分、角の食堂でたぬき蕎麦定食、軟骨唐揚げ、生ビールで至福の時を過ごす。快晴だったので程よい汗が、休憩で休むと冷たく感じる

13時48分出発。川乗山入り口を通過し、福音の家の先を左折しさらに二股を右折する。ぽかぽか陽気でおばあさんが二人日向ぼっこをしている。その二股に「六地蔵」があった。六地蔵は六体の地蔵と思いきや、

ここのは小屋がけの中に、石造りの塔の上に載せられた正四方形の彫り物の地蔵数が6体ある。
正面の対面が1体ずつ、横の対面が2体ずつで合計6体という訳だ。このような形は初めて見た。国道に合流しすぐ山宮林業製材所手前を右折、このあたりゆずの木が多い。2箇所目の馬頭観音のところで、清水おばあちゃんと出会った。

              六地蔵

入川の橋の手前で、「このあたりの息子たちは皆青梅などに勤めに出てここには帰ってこない」「年寄りの一人住まいが多く、奥多摩の人口は減る一方」等の四方山話をして別れる。

  
                 急峻な多摩川の絶壁


切り通し
15時08分、白丸駅入り口を右折、日陰道に入ると気温がぐんと下がり、道の脇には雪が残り、道路はぬれている。「数馬の切り通し」の看板のところを直進。道がだんだん狭くなり、茅葺屋根の十一面観音に出る。落葉がいっぱいの杉林の山道だ。江戸時代の初め元禄16年(1703年)まで、険しい山越えで迂回していたが、切り通しが開かれた。岩盤に火をたいて水をかけ、つるはしと石斧で切り開いた。切り通しの先の左側は、急峻な多摩川の絶壁で恐ろしいほどだ。その道が突然途切れた。前方は手前のトンネルから出たところの国道で、どう見ても降りるのは不可能。
仕方なく戻って九十九折の山道を下りる。15時34分、途中で背中の毛が抜け落ちたたぬきと出会った。


奥多摩温泉もえぎの湯

日向の馬頭観音

 新氷川トンネルの左側を行くと、奥多摩温泉もえぎの湯が前方に見える。手前に文化11年に建立された「日向の馬頭観音」がある。もえぎの湯を通過して国道に合流する。

16時05分、奥多摩ビジターセンターを訪ねて、旧青梅街道の資料をいただいた。16時26分、奥多摩駅に到着。すぐ16時30分発の青梅行き電車に駆け乗る。


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