マツノヒデマサの歩く旅
マツノヒデマサの
旧 青 梅 街 道 を 歩 く 4
沢井から川井 
 
20028月25日記 
 

 日中とても暑く気温が下がる夕方まで待つことにした。前回歩いた沢井駅の手前から2〜3時間歩く予定で16時55分、青梅線沢井駅に降り立った。200mくらい西に戻ったところに、大きな石碑があり、隣の家のおじいさんがちょうど出てきたのでたずねてみた。
 坂本雄一さん(80歳)で「子供のころよくここの中段の石版に草を載せて、石や木の棒で突付いて遊んだもんだ」と丸くへこんだいくつかの穴を指差した。そこへちょうど通りかかった近くのS保育園長さんが、「聞き覚えのある声だと思ったらあなただったのね」と車を止め、「これはこの先の雲慶院の参道にあったもので、青梅線の踏み切り工事の時に移転したものらしいよ」と教えてくださった。70年も前からこの穴で子供たちが遊んでいたと思うと不思議な気がする。

    

 
「もっと東の光背版地蔵がある根岸左官工業のところを下ったところが旧道だよ」との声に従うことにした。 現青梅街道に合流すると、右手に旧沢井市民センター、(旧三田小学校跡・旧三田役場跡)があり200mも進むと右手に茅葺き屋根の旧沢井名主福島家がある。



旧沢井名主福島家  

 東京都有形文化財で、寛政年間(1789〜1800)の建築、二代目重富の時代という。写真を撮ろうと庭に入り込むと、母屋におばあさんの姿が見えたので、あわてて引き返す。すぐ隣の多摩名酒澤の井の醸造元小沢醸造の茅葺屋根旧家屋も見事だ。
 


醸造元小澤醸造の茅葺屋根旧家屋
 17時20分、沢井駅入り口信号を通過し100mで、すぐ右手の細い道を入る。新道に沿った細い道で、家々の隙間から、鮎めしの看板の「ひもの屋」が見える。新道に合流し大きなカーブの所に、柚子にこだわった宿・勝仙閣がある。400mで、そばで有名な玉川屋のところを右折して坂道を登る。玉川屋前の道の分岐点に青梅の道標の中で最古といわれる角柱型の道標がある。踏切を渡りT字路に慈恩寺、左手に行くとすぐ御嶽駅、17時40分着。


河合玉堂画伯が生前住んでいた 
 御嶽駅を通過して400m行くと、日本画家河合玉堂画伯が生前住んでいたという建物がある。長屋門をくぐると奥に茅葺の家が見える。表札には玉堂山房・鴨居恒夫の名札がついている。戻って袴線橋渡って現青梅街道に戻る。すぐ右に道幅1間ほどの民家が密集する狭い道が続く。これが旧道らしい。そこから600mも行くと御岳美術館、青梅はここまでで、ここから先は奥多摩町になる。
じき、左手にせせらぎの里美術館、そば懐石丹縄が見える。通称「尾崎の坂」を登ったところに、ちょっと前まで屋号「尾崎」(酒・よろずや)があった。多摩川の川幅がもっとも狭く、20m位しかなく急峻な景色を見せているところだ。姫が淵と呼ばれる場所だ。昔はその川幅の狭さを利用して、対岸の梅沢地区への連絡橋が針金で作られていたという。川井駅に18時20分に到着。


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