マツノヒデマサの
 旧青梅街道を歩く・・・青梅宿 
 200269日  

2002年6月9日、東青梅駅から歩くことにした。東青梅駅北口を出てすぐ左折すると旧青梅街道に合流する。成木街道入口の信号を直進、踏みきりを渡る。オレンジ色の列車が行き交う。青梅街道は成木川流域の石灰、材木、青梅縞の集散地であったことから、江戸との関係が深くなり市場町として賑わう大きな役割を担った。


勝沼山乗願寺
 勝沼の信号角に「寿司忠」がある。美味しいと評判の店だ。メガネのナミキを右折すると、踏み切り越しに勝沼山乗願寺が階段の上にそびえる。三田下総守長綱が開山で、ご本尊は阿弥陀如来像。戻ってすぐ右手に、勝沼神社の大きな石版碑が立つ。反対側にしゃれた門の立派な家がある。古木のオブジェに石彫の布袋さん。造形作家の塩野谷博山宅だった。街道右手は永山丘陵で、街道の家々の後ろにこんもり緑が映える。漢方岩浪薬局の隣の建物の上には「男はつらいよ」の古い映画看板が飾っている。


 山崎直太郎宅は古い佇まい。旧鍛冶屋の工場か? 隣は近代的はビルの3階建てで、
1階は鍛冶屋の工場になっている。右手奥にやはり踏みきり越しに、臨済宗妙見山宗徳寺。シュークリームが絶品というケーキのヘーゼルを過ぎ、緩やかにカーブして、住江町に入る。

 この信号から懐かしい映画看板が多くなり、その時代にタイムスリップした気分。右手に5月の青梅例大祭で賑わう住吉神社。向かいに、創業が(1846年)という老舗和菓子屋「道味」がある。


 美術の館「KDアート」に入る。日本画、掛け軸、古美術等の展示、販売をしており、今「川合玉堂とその門人たち展」開催中。オーナーは海藤祐司氏で、店ではお姉さんの郁子さんが応対している。昭和初期?温泉もののお猪口を3点購入した。川合玉堂の弟子・山下巌画伯の
15万円の「富士」が気に入り、チェックして店を出る。

2004年6月13日、旧青梅街道を再取材に出かけた。美術の館「KDアート」の跡地に2003年10月に元気な昭和・赤塚ワールド「青梅赤塚不二夫会館」がオープンした。約8ヶ月間で1万8千人を超える入場者という。入るとロビーでは「天才バカボン」のテレビ放映の前にお客が見入っている。マンガ本はもとより、100余点の原稿展示やキャラクターグッズ、赤塚氏が好きな「駅馬車」の映画看板と赤塚キャラ100人が走る青梅マラソンは圧巻だ。ここに赤塚氏と青梅市を結ぶ接点がある。 かつて新潟の看板屋にいた頃、大好きな「駅馬車」「第三の男」などを描いていた。青梅市住江町商店街の町おこしの映画看板街がテレビで紹介されるのをたまたま赤塚氏が見ていて、「あっ」と声を上げた。


     

 隣は平成11年オープンの「昭和レトロ商品博物館」、入場料200円を支払い入店する。昭和に生まれた飲料・菓子・薬などのパッケージ、二階には青梅出身の映画看板絵師・久保板観氏の映画看板アトリエが併設されている。そう、住江町界隈に映画看板が多いのは、レトロな町並みを作ろうという町興し運動なのだ。とにかくこの辺りは、映画館が1軒もないのに、レトロな映画看板が溢れている。


久保板観氏の映画看板アトリエ

美術の館 「KDアート」郁子さん

 隣は「GACHAMAN SHOKAI」 猫ギャラリーとでも言おうか、猫グッズのお店だが、今日はお休みで残念。招き猫の福にあやかり「猫町青梅の猫祭り」が毎年11月に開かれる。はす向かいに、JEAN’S WARK SHOP力屋の店構えが目立っている。祭り用品を全面に看板が似合う店だ。 じきに駅前交差点で、右手がJR青梅線の青梅駅。交差点角には、観光案内所「物産館マイショップ」があり、青梅の特産品の展示・販売や「読むガイドブックぶらり青梅宿」などの観光資料が手に入る。右手にあるインテリアに惹かれて輸入雑貨店「スカラベ」に立ち寄る。
 

 市民会館手前の仲町ポケットパークに鎮座する女性像が微笑ましい。
 中央図書館入口信号を右折すると、枝垂れ桜で有名な梅岩寺がある。途中右手に、新鮮なタネと揚げ油で文豪をうならせた?てんぷらの「天徳」が美味しい。市民会館角には、大正元年創業の研究熱心な蕎麦屋「大正庵」がある。ここでは、鮎のてんぷらそばやアナゴのてんぷらそばが食べられる。





 市民会館を過ぎて、左手に宿場時代をしのぶ古い造りの家が続く。米穀商だった明治27〜28年築の玉川徳太郎家。青梅坂下信号すぐの瀧島家は織物問屋だった明治初年築の蔵造りの家。はす向かいの柳屋米店小林又右衛門家は、明治9年築。初代は元禄13年(1,700年)で、現在は13代当主小林康男氏は「昔は品川にも支店を持っていた杉皮、炭問屋だったらしい。先代は郷土玩具のコレクターで、二千五百個の収集品の管理に頭を痛めている」と話してくれた。今も米屋、お茶屋を昔の店造りで営業している。

  

      

 100メーターも行くと、江戸後期に母屋が造られたと言う旧稲葉家住宅が右手にある。


青梅宿の町年寄を勤め、材木商を営み青梅縞の仲買問屋となり、最盛期には江戸に支店を持つほどの青梅でも有数の豪商だった。中は自由に無料で見学できる。裏に土蔵があったが最近解体された。

急カーブの突き当たりが、旧森下陣屋跡、今は鎮守の熊野神社で、大カシの木が聳える。その前に上部が切られた銀杏の古木の脇から、二代目の若木がぐんぐん伸びている。


「珈琲ギャラリー
黎盧(れいろ)」のしゃれた看板に魅せられ、入店する。
 元校長だった金嶽さんの陶器、掛け軸、古物コレクションが二階に展示されている。
 店長の金嶽順子さんに「黎盧」とは中国の「おもと」(葉や実をながめて楽しむ鉢植えの常緑植物)のことと教えてもらう。オーナーは留守だったが、コレクションを見せてもらった。
 シルコロードで手に入れたという携帯用の折りたためる「阿弥陀如来像」の「佛がん」が珍しかった。




 すぐ先の七兵衛公園の屋根付の七兵衛地蔵尊を参拝。駿足な義賊だったそうで、青梅マラソンのランナーが、駿足にあやかって祈願者も多いとか。
 帰りに、青梅の地名となった由来の地、金剛寺に立ち寄った。平将門がこの地に立ち寄ったおり、馬の鞭を地に差して、根づいたという「将門誓いの梅」だ。梅の実はいつまでも熟さず、落実まで青いという。
(2002.06.15)


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勝沼山  乗願寺
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映画看板「男はつらいよ」
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    久保板観氏の映画看板アトリエ  
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  瀧島家は織物問屋だった明治初年築の蔵造りの家
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江戸後期に造られた旧稲葉家
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鎮守の熊の神社
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  金剛寺
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柳屋米店 小林又右衛門家

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