旧中山道69次を歩く
軽井沢〜望月2001年11月3〜4日 第8回




 今回は1泊2日で、旧中山道と療養温泉突撃取材で鹿教湯温泉に行く予定なので、どうしても車が必要だった。佐久インターを南下して7分の所の一満里温泉が本日の宿。そこに車を駐

車して、軽井沢に戻ることにした。小海線北中込駅から小諸へ、しなの鉄道に乗り換えて軽井沢へ。曇り空とはいえ、左右の車窓からの紅葉は実に見事だ。8時32分に軽井沢駅到着、すぐ北上し8時52分に旧軽井沢ロータリー、旧道に戻る。

碓氷峠から下りてきた道を真っ直ぐ唐松の並木道、その左右の背後は雑木の木立で、別荘地が点在している。じきに、上部はすでに霞んでいるこんもり山、離山が右手に離れずに見える。朝5時に慌てて家を出てきたので、傘を忘れてしまった。雨が降り出す前に下らなければならない。野沢原を抜け市村記念館を通過。文化の日なので入館料は無料だが、時間が気になり歩け歩けだ。軽井沢中学校前の踏切を渡りすぐ右折、旧道は「この先の橋が前の台風で決壊したので、途中は通れないよ。」踏みきり角の掃除をしていた店の旦那が教えてくれた。国道に出て湯川を渡ると、もう沓掛宿。中軽井沢駅の旧駅名は沓掛駅。右手に長倉神社に出る。天長年間(824〜34年)の創建で、本殿は江戸時代の建築という。じきにバイパスと分かれ、静かな民家の道を進むと秋葉神社。「天然温泉ゆうすげ温泉」の看板が目を引く。この時間に入湯できるか電話確認してから訪ねる。30年前から開業しているという39度の土類石膏弱食塩泉に入浴。高血圧症、動脈硬化症、痛風、創傷、慢性湿疹等に効能あり。通算温泉巡浴963湯目。

旧道に戻り15分も行くとすぐ、女街道入口の表示が。上州下仁田に行く街道で、女人が多く利用したからとか。借宿(かりしゅく)公園に遠近宮(おちこみのみや)があり、村の鎮守さまだ。左手に土屋家住宅の下に立派な古い屋根瓦が置いてあった。捨てるには忍びなく展示してあるようだ。斜向かいには、大小の馬頭観音が

いくつか残る。手前の明治21年の銘がある灯篭が変わっている。灯篭の彫りものが二頭馬で、放牧で奔放に走り回る姿の様だ。11時15分、一里塚手前のおぎのや茶屋軽井沢西店で昼食をとる。国道沿いの店で、広い駐車場があるので、おぎのやの「峠の釜めし」を買いにくる。常連客との会話は「売れ行きはどうかね?」売り子の女性は「去年に比べて、やはり落ち込んでいるわよ。」と応える。私は900円の釜飯に味噌汁、缶ビールを頼む。ここでは外気は9〜10度で、すでにもう石油ストーブを使用。平成7年に開店、そば・うどん・ラーメンも扱っている。平日の釜飯の売上は30〜50個、週末は100〜150個、夏のトップシーズンの週末は四〜五百個は売れるという。

追分宿郷土館に入ると、窓口で係員が「今日は文化の日で無料です。ぜひ入館を」と声がかかる。きつく靴の紐を締めていて、ほどくのが面倒だったが見せていただいた。北国街道と中山道の分去れ(わかされ)の明治時代末期の写真があり、余りにもの変わり様にショックを受けた。油屋で誰も出てこないので、黙ってパンフレットをいただいてきた。元禄年間追分宿の脇本陣として、諸大名や文人たちの定宿として親しまれてきた宿だが、昭和12年に焼失、建物はその後の再建。骨董や、高札場、本陣跡、紅葉が美しい泉洞寺と続く。

泉洞寺の左手墓地入口に、堀辰雄が愛した高さ40aほどの半伽思惟の歯痛止め石仏があると聞いたが、見つけられなかった。枡形茶屋つがるを過ぎ、常夜灯が残る追分にさしかかる。
 国道と次第に離れ、紅葉が美しく見える旧道を南下する。今にも雨が降り出しそう。御代田駅手前で雨がポツリときたので、雑貨屋で900円のワンンタッチ式傘を購入。13時21分に小田井宿入口の標柱、日本橋から21番目の宿場。追分宿が旅篭35軒の歓楽的雰囲気があったのに対して、小田井は旅篭わずか5軒の静かな農村だった。本陣跡(安川家)問屋跡(安川家)下の問屋跡(尾台家)が江戸時代の建築物を残す。バイパス道と合流しやがて上信越道の佐久インター辺りが見える。酒のスーパータカギで酒と肴を調達。佐久の地酒「追分吟醸」。

岩村田は、本陣や脇本陣を置かず、馬や荷物の輸送の中継地だったようだ。佐久市内に入り、住吉神社の欅の直径4mはある大木に魅せられ、立ち寄る。その前の夫婦道祖神が微笑ましい。お

菓子屋の主人に、近くに武田信玄ゆかりの龍運寺を教えられる。すぐ裏手にあたる。武田信玄の遺骨が密かに葬られているといわれ、昭和6年に発見された。旧道はこの先の相生交差点を右折する所だが、雨降りで宿から遠くなるので、2kmの距離を直進し歩いていく。15時30分に一萬里温泉ホテルゴールデンセンチュリーに到着。

すぐ部屋で旅装を解く。旅の途中で調達した「追分吟醸」を吟味する。さらっとした辛さのある酒だ。59lまで精米した美山錦と千曲川の伏流水を用いたとある。一階の大浴場にいく。1分間にドラム缶2本分の湧出量がうたい文句のナトリュウムー塩化物泉だったはずだが、湯の肌触りが何とも温泉らしくない。源泉がちょろちょろ出る飲泉所の湯は、確かにナトリュウムと塩分を含む湯なのだが・・・。前回との印象が異なるのは、気のせいか?夕食はホテルの前に、焼肉と御寿司の食べ放題のお店があったが、雨で面倒なので、10階スカイレストランですませた。

翌日、車で旧道の分岐点、相生交差点まで戻り、塩名田、八幡、望月へと走らせる。望月宿のバスターミナルの向かいの民家を掃除していたご主人に「車を置いて歩きたいのですが、どこか置く所はありませんか?」と聞くと、「町役場の駐車場がいい。」とのお言葉に甘えることにする。バスターミナルで8時07分に小諸行きの千曲バスに乗車、小海線塩名田駅前で下車。休日のせいか、その間乗客はなくドライバーとの会話を楽しむこととなった。相生交差点まではタクシーで移動する。結局はこのルートは3回行き来することになる。8時26分に出発。

浅間綜合病院先の相生の松は、直経25センチでこれが天然記念物?昨日気温が下がり、

浅間山など周辺の山は軒並み初雪を記録した。そのせいか、風がとても強く肌をさす冷たさだ。左手は稲穂の田んぼ、右手は鈴なりのりんご畑が続く。りんご園の主人に声をかけ、正面のくっきりとした山は標高2,500mの蓼科山と分かる。小林弘行家の赤松が見事。9時20分、駒形神社につく。ほどよい落葉で美しい橋を渡り、二十数段の階段を上った左手が本殿。祭神は騎乗の男女二神像。文明18年(1486年)の建築。

塩名田交差点には、9時34分、本陣跡に気づかず千曲川にかかる中津橋を渡る。新道に合流する手前、登りきった辺りの右に御馬(みま)(よせ)の大日像がある。隣に芭蕉の碑。碑の内容はよく読み取れない。浅科役場過ぎて、下り坂になる。八幡宿の家並みの手前に、八幡神社。平安末期以来の神社で、鳥居をくぐると天保14年(1843年)築の随身門、奥右手には延徳3年(1491年)建立の本殿(高良社)、正面の彫

り物は龍だ。10時25分、旧本陣跡小松家を通過、百沢集落を過ぎて再び、国道に合流。途中で左手に入るはずだと思いこみ、右折の道を見逃し、バイパスのトンネルまできて気づき、1キロ戻る。鹿曲川沿いの豊川稲荷を過ぎ、いよいよ望月宿へ。脇本陣跡、隣の旅籠大和屋(真山家)、ますや、山代屋など古い建物を残す。歴史民俗資料館の先の大伴神社まで行く。素朴な灯篭の裏には、寛延元年の銘が残る。60段の階段を上ると春日造りの本殿は、延宝5年(1677年)建築とある。

かなり速いペースで歩きとおし、12時30分頃に役場に車を取りに行く。

実はこの後、ホームページで「療養温泉突撃取材第6弾」として鹿教湯温泉の取材を予定しているので、移動しなければならない。この日は、鹿教湯温泉の河鹿荘とかけゆクアハウスを取材して、東京に戻った。

 

 

 

 



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