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旧中山道六十九次を歩く第21回
関ヶ原宿〜鳥居本宿
2005年6月4日〜5日

     
 今回も夜行バスで新宿から終点新岐阜までの乗車となる。耳栓をしていたせいか、到着のアナウンスが「しんじゅく しんじゅくに到着です」と聞こえ、「えっ新宿に戻ったの?」と一瞬思ったが、「しんぎーふう」がそう聞こえたらしい。


西首塚
 前回同様、東海道線で関ヶ原駅に移動し、6時45分から歩き始める。天気は予報通り快晴。西風が強く、少し肌寒い。6時53分西首塚に着く。中央の巨木の両側に祠がある。しばらく行くと「宮本武蔵ゆかりの地700m」の看板が右手に。国道を左折すると、左手には「不破関資料館300m」の表示が。ここからは見えない。
 7時08分、藤古川を渡る。右手はJR東海道本線で、高架線は大型補強工事中の様子だ。このあたり山中深い地形で、地名も「山中」、信号を伊吹山は右後方になる。国道を交差して、鶯の滝が橋下に覗く。高さが5mあるというが、滝はやはり下から眺めるほうが迫力ある。
常盤御前の墓では、地元のおばあさんがお墓掃除の最中で、「あなた、腰が痛いんだから、若いのに任せなさいよ」との声が・・・。踏み切りを過ぎるとアスファルトの道とはいえ、山中の峠越えの風情十分。国道に合流して左手に復元された今須の一里塚。
 5分も行くと妙応寺入り口の碑があり、右手の参道を行くと驚いた。参道はバイパス道と東海道本線に分断されている。U字型のトンネルの向こうに山門がある。県最古の寺と聞き、本堂に入りおばあさんに資料を求めたが、昔はあったが今は無いと言われた。

常盤御前の墓
 

妙応寺

美濃と近江の国境
 戻って本陣跡、問屋場跡、高札場を通過、大きくS字型にカーブしきったところに、芭蕉句碑がある。「正月も 美濃と近江や 閏月」ここは美濃と近江の国境にあたり、狭い水路を境に分かれている。長久寺集落が寝物語の里とは面白い。狭い溝をはさんで美濃側の「両国屋」と近江側の「かめや」という旅籠屋があり、寝ながらにして他国の人と話が出来たという。ここから先、見事な楓並木が続く。奥には杉が植林されていて、よく手入れがされている。神明神社入り口のところに「熊出没注意」の看板。突き当たるT字路で、右手に裾広く伊吹山の山容が開ける。
昔、青春キップを使って、家族旅行で琵琶湖、日本海の敦賀、美浜で水浴をし、伊吹山に登山したことを思い出す。 柏原宿に入り、途中道を間違えて成菩提院に向かう。8時45分、裏山を借景に正式名「寂照山成円乗寺菩提院」に着く。弘仁6年(816年)最澄がここを訪れ、小さな庵を作ったのが始まりとか。入り口が白塀に囲まれた立派な山門、かつては信長、秀吉などの庇護を得て、権勢を振るった時期もあった。人影も無くただ静かな佇まいだ。ここからが迷いの道。
成菩提院(寂照山成円乗寺菩提院)
西に柏原中学校があり、ひとまわり回ってしまい、1.5キロも無駄に歩いてしまった。本陣跡、高札場跡、柏原宿歴史館を通過する。福助人形で有名なもぐさを売る伊吹屋亀屋左京をぜひ見たかったが、本日は時間がまだ早いのか休み。
 
     伊吹屋亀屋左京
 朝食を食べる機会を逃し、もう、食べたいと思わなくなった。

 柏原宿を後に天の川沿いに歩く。桜並木の土手で草取りをしているおばさんは「丁度ホタルのいい時期なのよ」桜並木に続いて松の古木も5本残っている。

 名神高速道に接する「梓河内」で、石仏群が小屋に納められている。醒井(さのがい)宿に入り、「めし山形屋」の看板につられ、「よし、飯だ」とおもいきや、本日休業中。

柏原宿

 10時40分、一里塚の碑があり隣に松の木が植樹されている。下り坂の左手に「鶯ヶ端」の表示があり、ここは昔西方の京都の空が望めるところで、旅人が足を止めて休んだところという。直ぐに醒井(さのがい)宿の東見附跡、賀茂神社、居醒(いさめ)の清水、ここから湧き出た水が地蔵川となって街道にそって流れている。醒井宿は清い湧き水の町で約300mにわたって宿場の中心地の史跡に彩を添えている。延命地蔵尊(石造地蔵菩薩座像)は、伝教大師(最澄)の作と伝えられ、鎌倉時代の花崗岩丸彫りの半跏像で台座も入れると3.6mの巨大なものだ。


    
                     
一里塚

居醒(いさめ)の清水

延命寺地蔵尊

水路の両側には

梅本亜由美

                        画 金森達      
      
 水路の両側には各家庭でお花が植えられて観光客を楽しませている。湧水にはハリヨという4〜7cmの棘のある小魚、水生植物で白い花を咲かせる梅花藻が有名で、この宿場に入ったとたん、バスガイドに案内された観光客がぞろぞろと現れた。丁度梅花藻の花の時期なので、ツアーが組まれているのだろう。十王水、西行水と醒井の三名水を口にし、食事を求めて駅へ向かう。駅の周辺にしか食堂が無いというので、駅前の布屋食堂に入る。メニューは、握り寿司、お稲荷寿司、丼もの、うどんなど・・・。冷たいそばは?と聞くとやっていない、寿司もない・・・結局、肉丼に缶ビール(1,100円)になった。11時54分に出て、駅横の「醒井水の宿駅」に立ち寄る。2階のギャラリーでは、挿絵展が開催されていた。1階は軽食レストランと喫茶ルーム「梅花藻」があったので、コーヒーセットを注文した。ウェイトレスは京都の短大に通う梅本亜由美さんで、「ここと郵便局でアルバイトをしているんです。」布田食堂の話をすると「確かに無愛想な感じはしますが、夏のかき氷はとても美味しいんですよ」とフォローしていた。よくカラカラと笑う人で、良い気分転換が出来た。
    
                   
蓮華寺

 国道から一旦離れて「Bar Barつじ」を左折すると竹林山敬永寺、国道を横切り1.5kmも行き北陸道をくぐると角の久礼の一里塚碑に着く。1キロも行くと番場宿碑あたりから集落になり、蓮華寺参道入り口付近では消防団員の集まりがあるようだ。番場宿は中山道中最も小さい宿場だったという。左折すると高架の国道と名神高速に境内を分断された向こうに勅使門が見える。名神高速道の幅はゆうに20mはある。境内には、聖徳太子叡願の紅梅(古木)がある。聖徳太子の創建と伝える古寺でかつては、法隆寺と称され七堂伽藍の大寺だった。墓地左手に北朝六波羅探題北条仲時が南朝軍に敗れ、432名が自刃した。小さな無数の五輪塔が残される。「もみじ溪さんぽみち」がある。さぞかし紅葉時は素晴らしいだろう。
 しばらく名神高速道に沿って歩く。

 13時54分、北野神社を通過、隣に石仏群の祠。14時03分、西番場で25分ほど休息。足の裏が痛んできた。上って下ったところの右手に3体の地蔵さんの祠がある。相当古い時代らしく、彫がはっきりしない。小磨針峠で米原から彦根に入る。左手の民家前の側道から神明宮の鳥居に向かう。そこからの眺めは、霞んだ山裾に琵琶湖が見える。 下ったところを右折、おにやんまや蝶が舞い、すでに夏の装いだ。
 国道8号線に出て、矢倉川を渡り、直ぐ左折する。

3体の地蔵さん

霞んだ山裾に琵琶湖が見える

石塔モニュメント
「おいでやす彦根市」と書かれた石塔モニュメントが建つ。若木松並木があり、「彦根八里 旅しぐれ 中山道松並木」平成7年5月1日制定とある。右カーブを曲がったところに、赤玉神教丸本舗有川家がある。下痢・腹痛・食傷などに効果のある妙薬で300年の伝統を持ち、今も薬局を経営している。
    
                 
赤玉神教丸本舗

 鳥居本宿本陣15時37分着、右折するとレトロな赤い鳥居本駅舎(近江鉄道本線)が目の前に。足の裏が痛み、もう我慢ならんと帰ることにした。無人の鳥居本駅でしばらく待ち、上り線米原駅へ向かう。
 5つの宿場、21.7kmを歩いたことになる。近江の琵琶湖を見ることができるところまで来たことがうれしい。三条大橋までもう少しだ。 (2005.6.10 マツノヒデマサ記)


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