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マツノヒデマサの
中山道 六十九次を歩く・・・第19回
鵜沼宿〜河渡宿まで

2004年9月10日〜11日

 9月11日(土)前日まで、岐阜地方は雨の予報だったので、夕方に天気予報が曇りのち晴れに変わってから、急遽16時に出ることに決めた。金曜日のせいか、東京発の新幹線は大混雑で、1列車を待っても座ることが出来なかった。やむを得ず、車両の一番端の隙間に新聞紙を敷いて、横になるという私にとっても前代未聞の新幹線乗車となった。
 宿は前回最終地点となった、名鉄線の羽場駅に近い犬山温泉の犬山館に素泊まりで頼んだ。「名鉄線犬山遊園駅が近いですよ」と言われたので、その通り21時ころ駅を降りると、食事場所が無いのには驚いた。結局、ホテルにチェックイン後、タクシーを頼んで美味しいと評判の国道沿いにあるラーメン屋さん「次男坊」へ行った。流石に美味しいし、気づかいが自然。ビールに餃子を食べていると、しばらくして「ご注文の(とんこつ)ラーメンをお作りしてよろしいでしょうか」ときた。
 帰ってから、6階の展望風呂で入浴するが、遠方にアップライトされた犬山城が見える。

 温泉はアルカリ性単純泉で、平成8年4月に犬山温泉組合のホテル・旅館の5軒が共同で掘削し、犬山唯一の100%天然の温泉。

 私の温泉巡浴1080湯目の温泉。無色無臭で肌がすべすべだが、汚れているのか湯ノ花なのか浮遊物がある。

犬山温泉の犬山館に素泊まり

9月11日(土)午前6時25分に宿を出発。犬山遊園駅より名鉄線で無人駅羽場駅へ。6時40分に前回の津島神社に戻り、そこから西へもくもくと歩く。

350円のモーニングセットを頼む
すぐお腹がすき、喫茶店「サカエ」で、モーニングセットを頼む。 サラダ、茶碗蒸しにトースト半身にコーヒーで350円。これには驚いた。

プロ野球スト回避の報道を読む。禁煙席が無いのと、お姉さんの無愛想な態度が気に食わない。
 なぜ安いのかが、すぐにわかる。 近くにも喫茶店「やまびこ」などがあり競争が激しいのだ。

 しばらく国道21号線沿いを行く。各務原駅前入り口を7時23分に通過。さらに三柿野駅前を通過して日産レッドステージを正面にしたY字路を市街地方面に右折。このあたり小雨がちらほら。六軒の一里塚跡碑、4分後に神明神社と隣接する馬頭観音、トイレを探すがなかなか無い。市役所に駆け込んで、さらに西の門前町2交差点の「市民公園にトイレがあるよ」の応えにほっとする。広大な公園のとうかえで楠木の街路樹がしばらく続く。
  
   
               
竹林に囲まれた少林寺

 六軒駅入り口のY字路を右折すると新加納立場、ここは鵜沼宿と加納宿の距離(17キロ)が長いので、中間に立場を設けた。左手にある善休寺と竹林に囲まれた少林寺を参拝する。美濃4観音の一つで、水戸黄門ゆかりの「なんじゃもんじゃ」の木を見る。東海北陸道高架手前に「中山道新加納西坂の松並木」と標示された枯れた松が一本。平成9年に植樹されたものだが、ここにも松並木再生運動があったのか。高架をくぐり、突き当たり左手が手力雄(たじからお)神社参道。各務原市切道あたりに旧い家屋がところどころいくつか残る。

善休寺

隣接する馬頭観音

 JR高架、名鉄線茶所駅の踏切を渡る。角に「中山道加納宿」の碑。前方にこんもりと古木が見える。八幡神社でご神木のくすのきで、根元の直径が1.5mはある。宿内はくねくねと枡形の道路で、旧道がわからずに直進すると目当ての善徳寺の先を行ってしまった。

長森細畑交差点、国道156号線を突っ切る。細畑一里塚が両脇にしっかりと残る。
 ここは東の鵜沼宿13.3キロ、西の加納宿まで3.3キロと標示あり。Y字路の延命地蔵のところに「伊勢、名古屋ちかみち」の碑があり、裏手は八幡宮。

細畑一里塚

延命地蔵

二文字屋の門前

 11時10分、鰻の看板に魅せられて、二文字屋の門前に立つ。案内板に「初代上野長七郎がこのあたりで旅籠屋を営み(元和6年)、月夜に川原で餅をつくうさぎの姿は、左甚五郎が彫ったもの」というのに興味を持ち、ここでうなぎを食することにしたが、時間がまだ早く、しかも「甚五郎の作品は、よそのうちに置いて、ここには無いんです」の声に諦めた。クリーニング屋の美人女将さんの、うどん屋「大正庵」が美味しいという推薦に素直に従う。

 
 このあたり旧道にふさわしいものは何も見当たらず、本陣跡や脇本陣跡も碑だけ。岐阜駅前を通過する。しばらく2キロほど直進して東海道本線の高架をくぐって斜め前方へ。すぐ六ツ辻を直進して3キロ、小紅の渡しに乗りたくて必死に歩く。見落して行き過ぎてきたことにショック。500mも戻ると確かに中日新聞の前に「瑞甲山乙津寺・鏡島(かがしま)弘法・梅寺」の看板がある。鏡島弘法のお堂は立派なたたずまいで、他にお客がいないせいか、社務所勤務の大洞すみ子さんが詳しく案内をしてくれた。日本厄除け三弘法で、国宝の行基菩薩が自ら彫刻をした一木十一面千手観音や毘沙門、韋駄天立像らを真じかに見せていただいた。

堂本印象画伯による本堂天井の「八方にらみの龍」は畳みに寝転がって見せていただいた。
 梅寺の由来だが、大洞さんは、境内にある梅の4本の古木から「これがその由来の梅の木です」と周りが枯れはてて、その中から若木が出てきたような古木を指差す。

 毎月21日が縁日、御開帳は毎年4月21日〜23日、露店でにぎわう。住職の奥様は、岡田奈々さんのお姉さんでそっくりだとか。

鏡島(かがしま)弘法のお堂

本堂天井の「八方にらみの龍」

これがその由来の梅の木です


梅寺の由来だが、大洞さんは、境内にある梅の4本の古木から「これがその由来の梅の木です」と周りが枯れはてて、その中から若木が出てきたような古木を指差す。毎月21日が縁日、御開帳は毎年4月21日〜23日、露店でにぎわう。住職の奥様は、岡田奈々さんのお姉さんでそっくりだとか。



 
     

 裏手を通って、いよいよ「小紅の渡し」に向かう。川向こうに小屋があり、声を張り上げて、手を大きく振ると迎えに来てくれる。旧道の本来の渡しは、河渡橋付近だが、小紅の渡しは裏街道になり、県道になるのだとか。だから無料なのだ。知らずに、船頭の棚瀬正己さんに「おいくらですか?」とつい聞いてしまった。わずかに5分の船旅だったが、晴天の空に水の青さ・・・もっと乗っていた〜い。月曜日は定休日。土手に上がり、かんかん照り歩きの河渡橋までの25分は、きつい。さらに川沿いに沿って歩いた土手下に、馬頭観音堂の愛染堂が二堂見える。14時38分到着し、参拝する。愛染堂は天保13年に庶民が100文づつ寄進して建立され、移転を繰り返しながらもここに残った。

 
 2キロ長良川沿いに西へ行くと、東海道本線穂積駅があり、そこが一番近い交通機関なので、そこから岐阜、名古屋経由新幹線で帰ることにする。(2004.9.15 マツノヒデマサ記)




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写真の位置は



津島神社 007   TOPへ





隣接する馬頭観音  013 TOPへ





善休寺 017   TOPへ




少林寺 025     TOPへ




細畑一里塚 034   TOPへ




延命地蔵  036  TOPへ




二文字屋 044    TOPへ





鏡島(かがしま)弘法 050  TOPへ



本堂天井  054  TOPへ



由来の梅の木 053   TOPへ
 



小紅の渡し 058  TOPへ



晴天の空に水の青さ  060    TOPへ


馬頭観音堂 061




愛染堂  062   TOPへ



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