1年5ヶ月ぶりに中山道歩きを始めた。仕事が忙しくなり、同時に体力と気力も自信が無くなったのか、自然にいけなくなっていたのだ。
2004年5月21日、金曜日の仕事中、夜行のハイウエイバスの予約が取れれば行こうと決意。JRバスはどれも満席、京王バスに1席あるというので予約、23時新宿発の便で出発。名古屋バスセンターまでで5,100円、JRバスの6,420円より安いなと思ってはいたが、実は座席が夜行バス専用のシートではなかったのだ。普通のバスシートで、これでは寝こごちが悪い。だから空いていたのか。耳栓にアイマスクの完全武装で意気込んだが、隣の男と足や腕が触れたりの気遣う分疲れてしまった。
名古屋バスセンターには、6時に到着。6時10分発名鉄犬山線、犬山で広見線7時04分に乗り換え、前回の到着地明智駅に7時32分到着。それから旧道に戻るまで8分。
伏見宿の中心地、「伏見」交差点を過ぎて、左側に古い屋敷が残る。右手に小さな常夜灯と祠がある。
右手に「バーデン八千代」硫黄温泉の看板が目を引く。右手に視線を移すとパチンコ店と料亭が見える。近くのガソリンスタンドの親父さんに聞くと、「営業時間は午前10時頃かな」今日は旧道歩きが優先だから・・・入浴は諦める。
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常夜灯と祠 |
上恵土神社(神明神社と白山神社を合祀)
7時58分、上恵土神社(神明神社と白山神社を合祀)を通過し、川合口で右へ大きくカーブしてY字、名古屋方面41号線、岐阜方面21号線の右手に折れ、可茂中央市場を通過し踏み切り「中山道踏切」を渡る。
JR太多線で美濃太田から多治見をつなぐ路線だと知った。
ようやく、国道の喧騒から逃れ、ほっとする。一時陽が出て暑くなる。
今渡神社を通過し、「今渡公民館南」交差点角に旧家が残る。龍洞寺境内には庚申塔や石仏ら34体が集められる。文久2年の刻印も読み取れる。 |
龍洞寺境内の庚申塔や石仏 |
木曽川にかかる太田橋を渡るが、歩道が無く車の往来が多く恐ろしい。昔は下流100mのところに太田の渡しがあった。対岸の右手に日本ライン下りの遊覧船乗り場がある。しばらく木曽川に沿った遊歩道を歩く。もうこのあたりで、右足の付け根が痛み出す。腹筋は1ヶ月前から鍛えていたが、背筋が全く駄目なせいか。
川堤の側面に子供達が描いた煉瓦造りの5cm×10cmの彫刻が張られていて、楽しい。日本ロマンチック街道と名づけられている。
11時15分、「坂祝駅」(さかほぎえきとは読めない)入り口の先で 焼肉の看板に釣られ、早めの昼食をとることにする。折りしも、今日は小泉首相が拉致問題での北朝鮮との会談の日で、ニュースが気になっていたところだ。 |
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12時30分、遊歩道を降りて太田宿に入る。「太田宿」と書いた木造りの灯篭や俳句がかかれた小行灯があちこちに置かれ、旧宿場の雰囲気を作っている。
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祐泉寺 |
9時37分、嘉永3年勧請の太田稲荷、隣接して文久6年建立(1474年)の祐泉寺(臨済宗妙心寺派・龍興山祐泉善寺)を参拝。ご本尊の聖観世音菩薩は、7年に一度のご開帳という。芭蕉・白秋の碑が残る。本陣は門が残るのみ。
明和6年(1769年)に建築された脇本陣は今も住居として使われ、中を見ることができない。 |
脇本陣 |
国道1号線をくぐり、突き当りを左折すると村の鎮守・深田神社、国道を避けて木曽川沿いの遊歩道を歩く。一面に咲き誇る黄色い花を愛でながら、足を投げ出して休憩。急流の木曽川に奇岩の景観が興味をそそる。
国道に入ると、レストランや場違いなピンクキャバレー?が並ぶ。「カフェテラスゆらぎ」の先の階段を降り、右手に折れて、国道をくぐる。渓流の冷気でひんやりとする。いよいよ、うとう峠への山道に入る。中山道では最後の山道となるという。やはり旧道歩きは、山道がふさわしい。
石畳の道 |
一里塚 |
休憩所からは石畳の道となる。峠を越え、一里塚(12時52分)を経てうぬまの森を出ると、突然住宅が目の前に広がり、びっくりさせられる。
道を下って「池に沿って道なりに」との案内だが、三叉路のところで住民に聞いた道が間違っていたらしく、大安寺大橋に行き着く(14時)まで、大変な遠回りをしてしまう。
大安寺大橋 |
坂井家 |
二ノ宮神社の対面に100mも続く広い坂井家がある。脇本陣だった旧家だが、脇本陣は明治24年の濃尾大地震で崩壊してしまった。芭蕉も鵜沼を訪れる度に、坂井家に滞在したという。
津島神社
14時20分、津島神社を目印に、名鉄各務ヶ原線羽場駅に向かう。もうくたくたで、加納宿までは無理と判断、犬山経由、名古屋に戻る。名鉄線明智駅から12駅間を歩いたことになる。18キロ位だろうか。
腹筋の運動はしていたので、何とか2宿場を踏破することができたが、背筋や股関節周辺の筋も鍛えないと、これ以上の距離は無理と実感する。
名古屋からの新幹線では、隣の若い男性のヘッドホーンの「シャカシャカ」と耳障りな音に辟易し、一度注意をしたが、止めなかったので、耳栓をしてふてねをするしかなかった。
(2004.5.26 マツノヒデマサ記)
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