マツノヒデマサの
中山道 六十九次を歩く・・・第17回
大井宿〜伏見宿まで

2003年3月21日〜23日



 東京駅から夜行バスで出発。翌3月22日、午前5時40分名古屋千種駅前到着。前回歩いた大井宿・恵那に向かうJR中央線上り線は、6時27分発でまだ時間がある。牛丼の松屋で朝食を済ませる。7時24分に恵那駅に到着。駅南150mに中山道広重美術館が開館したようだ。旧道を1キロほど歩いてから、今日の宿を予約するときに、若女将が「恵那から先は山越えで、食事場所がないのでお弁当を用意してください。」との忠告を思い出し、ワゴン車のお兄さんに頼んで戻ってコンビニでおにぎりを調達して、いざ出発。

 上町観音堂、西行塚碑を右折し踏み切りを渡る。
 すぐ左折していよいよ十三峠の細い道をたどる。今のところ曇天で山越えの雨は勘弁してほしい。

 中央道をくぐり(8時13分)急坂(西行坂)を上りきり平坦になったところに、槙ヶ根の一里塚が両側に残る。

 その先立場の茶屋(水戸屋、槙野屋、東国屋、松本屋、中野屋、伊勢屋)にはかまどなどの跡が残る。


8時57分、首無し地蔵を過ぎて、石畳の急坂を下ると乱れ橋に着く。
 「乱れ橋」とは、大名行列や女の裾も乱れるほどの急坂から。又上り坂(お継原坂)で、紅坂の一里塚に出る。

 下って藤村高札場。再び山中に入り、朽ちた石畳に積もるコナラの落葉を踏みしめる。風情を体感ながらまた急坂を上り、三城峠のばばが茶屋跡・・・。とにかく上り下りを繰り返す。


槙ヶ根の一里塚 

藤村高札場

 観音坂の馬頭観音、大久後の観音堂と弘法様、観音坂の一里塚。「これはきつか〜」もう足に来ている。大湫宿(おおくてしゅく)まで2.1キロ50分の表示に「そんなにかかるのか」 時より「パカーン」と音がする。左手の看板にその名も「中仙道ゴルフ倶楽部」玉が飛んでこないのか?と心配しながら、山道歩き。
 十三峠の巡礼水、石を組んで小屋をかけた珍しい造りの三十三観音、尻冷やし地蔵を過ぎて大湫宿高札場。この直前で道を間違えたらしい。上を見上げると高台に足腰の病に霊験あらたかな観音堂。まだ時間が早いので、石段上の脇本陣保々家を見学。


大湫宿高札場

神明神社の大杉

 保々家の門には保々和男氏の表札が。表門と母屋は昔のまま残る。庭の梅古木はまだつぼみで、古木の隙間から朱色のナナカマドとかえでが新芽を出し、とてもかわいい。観音堂との間にある神明神社の大杉は、樹齢1300年を超え、流石に神々しい気分にさせる。じっと御神木を見ていると、江戸時代の大名行列を支える山間の宿場のあわただしさを想起させる。
 文久元年(1861年)10月28日に皇女和宮降稼大行列は、4日にわたり3万3200人にものぼったと言う。尾張藩の大名行列は3,500人だった。 


     
                          母衣岩(ほろ)と烏帽子岩 


琵琶峠
風が強くなり寒いが、観音堂に戻りベンチで昼食をとる。コンビニで調達したのが正解だった。風がでてとても寒い。帽子、ジャンパー、お尻にカーディガンを敷いての防寒策。

夜行バスでの眠り薬だったドイツワインの残りを賞味。これが後で突然の睡魔に襲われる要因になった。

宿を出て直ぐ、観音堂を過ぎ500mも行くと巨大な岩、母衣岩(ほろ)と烏帽子岩が右手に出る。陰陽石とも呼ばれている。このあたりから突然の睡魔が・・・。
 車の通行がほとんどないから無事だったが、蛇行歩行だった。いくつかの観音堂、如来像をみて琵琶峠に至る。600mの石畳が道が復元されている。
13時20分、北野天神入り口、15分もいくと池の小島に祠がある弁天池、手が4本ずつある弁天様。山道の角にカフェの看板をアベックが車を止めて見ていたのに気づき、「暖炉あります。すぐそこ」の古木の宣伝文句に引かれ「本当にすぐそこなら寄ってみるか」と山中に入る。

 100mも行くと右手に洋風の大きな建物カフェの「ウイークエンドハウス」。鐘をついて来客を告げると「は〜い。ど〜ぞ〜。」の声。階下に下りると、暖炉のある部屋と奥に厨房が見渡せるテーブル席の部屋。子供たちを育て上げ、7年前に週末だけの営業を始めたというオーナーの水野とも子さん。コーヒーと手作りのパンビー(フランス菓子)を賞味。お土産に手作りのビスコッティ、マーモンドボールをいただいた。

鐘をついて

水野とも子さん

      

 奥之田一里塚をすぎ、旗がたなびく美濃瑞浪三十三霊場、細久手の庚申堂に参拝。
 いよいよ細久手宿だ。大湫宿から1里半。公民館で大音響のスピーカーで知らせる移動図書館車を見ていると、「あなたが大黒屋に泊まる人ね?」と紫色の洋服を着たおばあさんに声をかけられてどきっとした。尾張藩指定宿大黒屋の女将で酒井房子さんだった。
 時間が早かったので、先の脇本陣跡をみて戻った。大黒屋は大修理の時、縁の下から出てきた木片から、約140年前の建築物と判った。うだつや玄関の広い式台、出格子戸ある宿場風情のある旅籠屋だ。一階の上段の間から箱階段を登り、床の間付8畳の部屋に案内される。隣は襖仕切りの8畳間で布団が敷かれている。今日の客は私一人。


 前夜出発時は、時々起こる腰の痛みでどうなることやらと心配していたが、過去の和田峠越えの体験から、何とか成るかと決行したのだが。本当に何とか成るどころか、腰の痛みをまったく忘れていた。疲労での腰の痛みは残るが・・・。まずはお風呂をお願いする。

大黒屋の女将で酒井房子さん

 階下のお風呂は、ホーローの湯船で深いが、湯が半分以下で相当節約型の家風らしい。洗面所・トイレは4年前に改装したとかで、あったか便座もある大変立派なもの。食事は別室のテレビがある和室でいただいた。過去に宿泊したお客の書いた雑記ノートには、料理が美味のと若女将が美人との記述が印象的だった。若女将が食事を運んでくれたが、花粉症でマスクをかけておられた。じっくりと対面できなったのが残念。

 料理は評判どおりで、むかご、百合根、ゆず味護摩豆腐、鯉の甘露煮、レンコンすり卸のり巻揚げ、土筆・長芋の酢物、鮎の塩焼き、茶碗蒸し、海老入り里芋ふかし、デザートに苺となかなかのもの。お酒は地酒の始禄。お吸い物を忘れたのか、最後まで出なかった。
   
 夕食は若女将の仕事とか、まあそれもありか。翌日は大女将の仕事、7時に女将さんの部屋でいただいた。野菜炒め、玉子焼き、煮物、護摩豆腐、黒豆、味噌汁、ボリウムがあり美味しくしっかりいただいた。納豆の話になり、関西の方が食べないので出さないという。

 部屋に戻ると、コタツの温度は下げてあり、石油ストーブが切ってあった。ここでは無駄なことはしない、必要なものを必要なだけ使うという家風を考えさせられた。それにしても壁紙が剥がれたままだったり、天井にくもの巣が張っていたり、そろそろその辺の改装もしないと、旧道歩きの目的以外の客は敬遠するだろう。


秋葉坂三尊 
 7時54分に出発し、すぐ穴観音。まだ寒く水溜りは凍っている。鶯が鳴くのどかな山間部の道。
 雑木林を上り、秋葉坂三尊と呼ばれるの200年前に造られた六仏三尊、鴨の巣一里塚をすぎると瑞浪市から御嵩町になる。

 このあたり竹林が目立ち、暖房用の薪に竹を切って積んである小屋がある。9時12分、皇女和宮が休憩したという御殿場展望台で霞がかった御嶽山を望む。

 謡坂(うとう)坂をすぐ左手から石畳を下り、耳神社に着く。耳の病気に霊験があるといわれる神社で、錐がたくさん奉納されている。ずっと雑木林の道が多く、小鳥がさえずり、紅白の梅が咲き競い、香りを運ぶ。ずっと残したい街道だ。
10時10分、集落に下り標識に沿って和泉式部廟所へ。標識に従っていくと35分も行くと御嵩宿。まず商家竹屋、母屋は明治10年(1877年)頃の建築、江戸時代の建築様式を残すものとして平成9年に御嵩町指定有形文化財になった。本陣職を務める「野呂家」から分家し、金融業や米製自動車の輸入販売、今で言う総合商社のさきがけだった。隣は明治10年に建てられた御嵩宿本陣、さらに「中仙道みたけ館」2階に中山道の資料を展示している。


耳神社に着く

商家竹屋

 名鉄御嵩駅の手前右手が、大寺山願興寺で平安期創建の古刹。弘仁6年(815年)伝教大師が比叡山より布教の折、この地に布施屋(宿泊所)をつくり、師自ら薬師如来像を刻み安置した。行智尼という方が薬師如来を礼拝していると、南西1キロの尼ヶ池より光が四方に放つ奇怪な出来事があり、行智尼がそこで読経した所、金色の輝く薬師如来像が数千・数万匹の蟹の背に乗って現れた。蟹薬師の由来である。本堂と24体の仏像は国指定重要文化財を持ち、東美濃の正倉院的な存在という。


大寺山願興寺

鬼の首塚

 駅から枡形に曲がり、国道21号線に出て鬼の首塚がある。悪行を働いた関ノ太郎が美少年の姿を蟹薬師のお告げで見破られ、ここで首をはねられたという。
 12時10分御嵩町伏見公民館前の伏見本陣跡、直ぐ先の左手に小さく明智駅の標識が。15分歩くと川を渡って左手に名鉄広見線明智駅に出た。ここがどのあたりの位置かつかめないまま、12時35分発の列車に乗る。新名古屋駅まで1時間10分かかった。
(2003.3.30松野記) 。

  

 
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大黒屋の女将で酒井房子

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