マツノヒデマサの
中山道 六十九次を歩く・・・第14回

野尻宿から馬篭宿まで 
2002年9月21〜22日


 2002年9月21日、旧中仙道野尻宿までを歩いて以来、5ヶ月が過ぎてしまった。左足の親指の付け根を傷めたり、ぎっくり腰になったりと、遠くに出かけて長い距離を歩くのが困難になってしまったので、近くの旧青梅街道を手慣らしに歩いたりした。

 木曽路の良く残っている所を歩くので、妻を誘ってみた。異色の温泉宿の取材もしたいと事前にホテル木曾路を予約していた。

 野尻駅前に車を駐車し、午前10時25分に出発。食事処・ふくしまやの碑がたっている前を通り、突き当たりの出口正夫宅を右折し、旧道に合流する。野尻宿は明治27年(1894年)に大半が焼失してしまったので、宿場の名残はない。七曲がり宿場西の「はずれ」、旧家吉村家を通過する。トンボの群れが秋の気配を感じさせる。快晴なのに人影がまったくなく怪訝に思っていると、村の運動会だそうだ。しばらくいくと、何かのお店の窓から男性の「下だ、下だ。」というどなる声がしたが、誰に言っているのか、と怪訝に思いながら進んでいると、すぐ右手に降りるはずの道がない。そうか、先ほどの人は下に降りろ、と教えてくれたのか。右下の小道に下りて、鉄道沿いにしばらく歩く。


旧家吉村家


一里塚碑

 11時12分、南木曽町に入る。十二兼駅前を通過、国道向かい側の一里塚碑前で写真を撮る。11時40分、国道沿いの「柿其温泉やきやまの湯」の看板の立つ右手の原っぱで昼食を取る。柿其渓谷は8キロにわたるV字谷の秘境で、紅葉がすばらしいところ。

 ぎっくり腰で、腰骨を整体師にぼこぼこに打たれ、矯正して初めての「新腰」ならし運転というところ。足の親指の付け根も整形外科で作っていただいた、石膏型どりしたサポーターが効果を発揮して、何とかなりそうだ。

 12時40分、三留野集落に入る。左手の滑ロ麦木曾五木の材木置き場か、ついじの庭園が見事だ。つつじと桜の古木が続く。700m行って左折し役場を過ぎると駅らしい。突き当たりの「ベーカリー原」で牛乳を飲み、道を聞く。左折して鉄道をわたり、右折し旧道に戻る。左手に「園原(えんげい)先生の碑」がある。この地出身の木曾古道記等を著した学者の敷地跡だ。歩道橋を渡り南木曽駅に到着、13時28分。ここから列車で移動して、車を駐車した野尻駅に戻る。野尻駅から妻籠宿の前を通過して、今夜の宿泊場所ホテル木曾路に14時30分に到着。ホテル木曾路の紹介は、「異色の温泉宿」で紹介しているので省略する。

 翌日、8時15分にホテルを出て、8時45分に南木曽駅に到着、着替えて9時に出発

すぐに九十九折の登り道をいく途中、光背地蔵尊二体と出会う。妻はこのあたりから栗の殻や松ぼっくりをお土産に拾い始める。「ふりそで松」や「かぶと観音」を通過、9時30分下った所に、上久保の一里塚跡。民家の手入れされた山水庭園が見事。登りきったところが、妻籠城跡入り口。三叉路の中央の道を下ると妻籠宿だ。いよいよ宿場の風情が感じられ、観光客が行きかう。鯉岩、妻籠の東入り口・口留番所跡を過ぎ、復元された高札場が宿場のイメージを掻き立てる。蕎麦屋の吉村屋の角から右に行くと大駐車場にいたる。このあたりからは、観光で良く来るところなので、早足で駆け抜けるが、妻が店をうろうろ。脇本陣で問屋・庄屋を兼ねた林家、屋号を奥谷と名乗った、林家は藤村の「夜明け前」に登場する。馬籠の造り酒屋大黒屋から嫁いできたおふゆさんは、馬籠の生家大黒屋の隣り合わせの本陣に生まれた藤村と幼馴染で、詩集「若菜集」の「初恋」の主人公と言われる話は有名。9年前、青梅市の団体旅行の添乗で来た時に奥谷資料館の入場者150万人目の日に丁度お客様が当たり、豪華な賞品をいただいた記憶がある。向かいの本陣は近年復元され、隣の木曾五木をふんだんに使った厠所で花を摘む。3軒隣の民宿坂本屋に宿泊したことがあって、朝食時に親父さんが、「妻籠宿でコーヒーを取り扱うかどうかの論議」をした時のことを話してくれた。妻籠での物事の決め方が徹底した直接民主主義なのに、驚いたことがあった。枡形右手に連子格子窓、江戸時代そのままの旅籠屋・松代屋が残る。枡形を過ぎ、栗菓子屋の丁兼で「栗きんとん」にお茶をご馳走になる。店の前の椅子で旅人の足波を眺めながらの一服も楽しい。

 国道を何度か横切り大妻籠を過ぎ、1050分には庚申塚、いよいよ石畳の古道を登る。倉科祖霊社、男滝・女滝で勇壮な飛沫で元気をもらい、峠はまだかまだかと念じつつ・・・。出会う人は皆下り坂のせいか、挨拶も元気はつらつだが、こちらは上り続きで息も絶え絶えで、下を向いたままの生返事だ。

 11時55分、標高790mの峠にようやく着くが、馬籠から南木曽駅行きのバス時間が13時発のに真にあせるため、茶屋での一服もおあずけだ。熊野神社を通過、峠集落をくだり、十辺舎一九の歌碑の所で小用をたす。街道沿いはコスモスが咲き乱れる。下って県道を横切り、あと300mという所で、杉林の急な上り坂になる。これが辛かった。12時26分、石畳を下ると左手に復元された高札場があり、県道のバス停・宿場入り口陣場に着く。角の蕎麦屋の上但馬屋は行列をなしているので、下って中井筒屋でそばを賞味。串刺しの五平餅を包んでもらい、バスに乗り込む。(2002.9.30記)

 
中山道を歩く もくじ

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「旧家吉村家」 205




国道向かい側の「一里塚碑前」 206


滑ロ麦木曾五木の材木置き場 209




左手に「園原先生の碑」 212




三叉路の中央の道を 267





江戸時代そのままの旅籠屋・松代屋 274




男滝・女滝 280




十辺舎一九の碑な所 285





県道のバス停・宿場入り口陣場 287






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