中山道69次を歩く

下諏訪〜塩尻 2001年12月31〜1月1日 第10回

 2001年最後の歩きに家内と出かける。前回、和田宿までつないだが、その後バスの便が

ないので春が来るまでその間はしばらく空白になる。午前6時30分に自宅を出て、中央・長野道を乗り継いで岡谷インターを下りる。下諏訪温泉の宿泊予定の聴泉閣かめやに着いたのが9時10分。かめやは旧本陣岩波家の分家が始めた旅籠屋で敷地は昔のままだ。駐車場に車を断って置き、9時28分に出発する。

 気温は2度ととても寒い。帽子、マフラー身につける。問屋場前から先国道に合流、いくつかの公衆浴場を通り過ぎる。10時、弘法大師の霊場、平福寺に着く。日限地蔵尊にお参りする。お手洗いを使いたいが、ロープを掛けられ使用できず。

10時35分、穀留番所跡を過ぎ右手に、御小休本陣があり。長野自動車道に突き当たる辺りの右上に馬頭観音が見える。ここはもう登りが始まり雪道で、ここからの諏訪湖の眺めがすばらしい。11時15分、塩嶺病院前のバス停で休憩。この先食事場所があるのか分からず不安なので、持参してきたあんドーナツとコーヒーで小食をとる。すぐ右手のりんごやさんの主人に声を掛ける。「いくつかのカーブを越すと2軒ラーメン屋があるので、親ゆずりという方がおいしいよ。」と教えてもらった。もう1軒のラーメン屋は休んでいた。11時45分、親ゆずり到着。見晴らしの良い所だ。諏訪湖と背後の雪を冠した入笠山がくっきりと見える。ガラス張りの窓から日が当たり、暑いくらい。しょうゆ味の峠ラーメン、塩味の塩嶺ラーメン、餃子がないので代わりにモツいためを注文する。

 

 塩尻峠は12時25分着。国道を歩道橋で渡っていくと展望台があるのだが、積雪のため通行止め。ここからは下り坂になる。どうもこのあたり旧道とはずれている様だ。左手にかつての茶屋本陣、東山の一里塚があるはずだが・・。国道沿いに下る。東山地区に入り、おやきの旗に吸い寄せられ、お焼き屋に入る。美人のお姉さんで、南佐久出身だそうだ。すぐ食べられる様にかぼちゃと野沢菜のお焼きをレンジで暖めてもらう。デジカメで写真を撮らせてもらい「かわいいよ。」というとアメをくれた。

 柿沢地区に行くのに左折するのを見逃して行き過ぎてしまった。永福寺は次の信号を左折の看板を見つけた。旧道沿いに永福寺があるので丁度良かった。途中の月見茶屋でどんと焼きが積み上げられていた。大晦日らしい風景か。永福寺は木曽義仲ゆかりの地で、元禄15年(1702年)伽藍と木曽義仲信仰の馬頭観世音を本尊として建立するが焼失。安政2年(1855年)現観音堂を建立する。入母屋造り妻入り向拝付、屋根は茅葺箱棟。正面に2対の龍の彫物がある。正月の飾りの準備に村人が立ち回る。

 

 ここからは一気に塩尻宿に。14時15分、本陣跡、脇本陣跡の碑を通過。右置奥に重文の堀内家の見事な美しい建物が見える。ここからの塩尻駅までの距離が長く感じられた。14時55分発の列車にぎりぎりセーフ。一旦ドアを閉められたが、「あけてー」と運転手に声を掛けると「乗るなら手で開けて。」という。そうかここでは列車のドアは手動で開けるのだ。下諏訪駅まではわずか三つ目だが、家内と二人して交互に居眠りしながら下諏訪駅へ。駅で観光案内所に行くと午前中でお休み。駅長室の入口に宿泊案内所の看板があったので、「観光ガイドのパンフレットはありませんか」と聞くと、「ないです。」とそっけない。

 



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