中山道69次を歩く
中山道69次を歩く
安中〜軽井沢 2001年10月7〜8日 第7回

 

 横川駅前は駐車ができると聞いたので、今回は車で行くことにした。圏央、関越、上信越道を乗り継いで、松井田妙義インターで降り横川駅に。ところが駅前の駐車場はもう一杯で、隣の鉄道文化むらのパーキングに止める。そこでは地元の新聞社の主催で、坂本宿までのウオークラリーの受付けをしていた。東海道と同じく中山道も宿400周年記念イベントらしい。横川駅を8時30分発までホームで待つ。ベンチには座布団が置かれている。田舎の駅らしく温かい心遣いだ。駅内外には「創業明治18年、日本最古の駅弁」とけたたましい看板が・・・。

 8時50分に安中駅を出る。伝馬町の山口商店、青柳質店など古い蔵造りの建築物が残る。右手のかわいい蔵造り風の安楽寺、向かいの碓井山長徳寺を過ぎる。愛宕神社の前の駐車場で声を掛けた男性に、霧積温泉に泊まるというと、「あそこ山道は狭くて絶壁の道で、雨が降ると危険だから明るい内にいたほうがいい」と忠告してくれた。安中の出身者新島襄の生家前を9時36分に通過。じきに原市の杉並木が始まる。天保15年(1844年)には1キロに渡って732本もあったというが、昭和30年には335本あったが、いまや拾数本のみ。原市を過ぎ、100年に一度ご開帳という地蔵堂が右手に出る。寛永2年(1625年)の庚申石祠は安中最古のもの。本堂に向かい階段を上ると、正面に顔が入るだけの穴が開き、そこに顔をいれて正面を見据えると、暗がりに高さ1.15mの延命地蔵菩薩像がかすかに見える。日本三大地蔵(新発田、八本木、壬生)の一つとか。 八本木の立場をすぎた十字路を左折すると、日本最古(万治4年、1661年)の温泉マークの発祥地、磯部温泉に行く。10時50分、国道に合流して文化5年(1808年)建立の常夜灯

路盤の4面と傘の正面上部に16弁の菊の紋がある。50m西の妙義入口にあったものを移した。正面右手に妙義山が霞にうっすらと見える。松井田に入り食堂が左手に1軒、「この先食堂がありますか?」と近所のお母さんに聞くと「余りありませんな。この店はよそから来た方は、カツ丼がおいしいといってたよ」と言うので、この店「つるよし食堂」で昼食にする。松井田宿の史跡にはほとんど気づかず、西松井田駅入口まで来てしまった。途中には、うなぎ、寿司、焼肉屋があった。なんだあわてて昼食を取らなくとも良かったのに。12時06分、関東一の道場だったという補陀寺(ふだじ)、境内に入って驚いた。鐘楼の鐘が無人なのに、鐘をついている。全自動だ。この先の踏みきりを左折とあるのを、早く左折して迷ってしまう。このあたりから、線路上で望遠レンズを構えたマニアらしい人が目立つ。信越線の列車をカメラにおさめようというのだ。御料茶屋本陣を過ぎ、夜泣地蔵に出る。茶釜石もそばに置いてある。これは石でたたくと、茶釜をたたくような金属音がするのでそう呼ばれる。バス便を考えて、横川駅、碓井関所跡を通り越して、坂本宿までを行くの

か悩んだが、思いきって坂本宿のバス停を14時21分に乗れるよう急ぐことにした。人口過疎地なのでバス便がすこぶる悪い。13時55分着、古い武井家には坂本小学校発祥地の碑が立つ。右手の連子格子の旅籠屋だった「かぎや」がうつくしい。つい中を覗いて見せてもらった。お母さんの武井スサ子さんが、時間がくるまでお茶でもと言ってくれた。さつま芋揚げと漬物をごちそうになる。彼女は坂本生まれの坂本育ちで、ここでは坂本姓が多い。記念に写真を撮らせてもらう。碓井峠くつろぎの郷からのバスは、結局、3〜4分遅れてきた。横川駅には10分ほどで着いた。ここで車に乗り坂本宿の先、くつろぎの郷峠の湯に入浴(963湯目)する。今日の宿泊はここから山道を30分入った霧積温泉金湯館。20年前に訪れた温泉巡浴188湯目の宿で、風情が変わらず懐かしい。

 

 翌日8時20分に宿を出る。気温は9度と寒い。紅葉は1日過ぎるだけで、一段といろ彩やかになったようだ。横川駅でまた車をお置き、タクシーを呼ぶ。坂本宿まで送ってもらう。1450円。9時05分

歩き始める。八幡宮はすぐ、浄水場の左脇を抜けて道なりに、国道を越えると碓氷峠入口、このあたりから、安政(あんせい)遠足(とおあし)」の看板が出てくる。遠足はマラソンのことで、安中城主板倉勝明候が、安政2年(1855年)藩士の心身鍛練のためにはじめたもので、碓氷峠の熊野権現までの7里余りを走る。日本マラソンの起源とされ毎年5月第2日曜日に「遠足マラソン」として行われる。武士達は20kもの甲冑を身に着けて走ったのか? 山道は薄暗く、きつい上りを踏みしめる。アスファルトとは異なり足にはやさしい。堂峰番所跡で先行するご夫婦に追いつく。川越市の出村光雄氏らで、樹木、山草、野鳥に詳しく、のんびり歩きを楽しんでいる仲の良いご夫婦だ。10時10分、弘法大師が掘り当てたという弘法の井で、出村氏らと別れた。10時30分、南向馬頭観世音、南側が絶壁で昔は山賊が出たところ。地層に火山灰が目立つ。浅間山の噴火の跡か?「熊出没注意」の看板がでてくる。そう言えば、山道の両側にいのししが鼻で地面を突ついて餌でも探しているような跡があり、「なんだろうなー」と思っていたところだ。まさか熊とは。それ以降、熊の影におののきながら歩くことになる。後の2人は大丈夫かなと心配だ。11時47分、旧中山道と霧積温泉との分岐点に到着。霧積温泉金湯館のおじいさんが写真を撮らせてもらったという尾崎行雄はこの道を通ったのか。ここから一時砂利道になる。碓氷峠手前まで例の熊の足跡?が続いている。前日雨が降ったので、山道の両脇の雑木から滴る雨水が山道の両脇にあのような地面を盛り返した跡を作ったたのかも知れないなとも思う。「熊出没注意」の看板のおかげで、熊の影に怯えつづけた長〜い時間だった。 12時00分、日本(やまと)(たけるの)(みこと)

まつった熊野神社の鎮座する碓氷峠に着く。力餅屋が並び、その一つ見晴亭で、具がいっぱいの山菜そばとからみ餅をいただく。岩手ナンバーの3人娘が隣の席で力餅を食していた。旧軽井沢に寄ったついでか?12時25分、神社に参拝。階段の途中で降りてくる神主さんとご挨拶。熊野神社の古鐘は正応5年(1292年)と聞いたが見つけられなかった。社殿は江戸中期以降の建築、狛犬は長野県最古で室町中期の作とかで、顔が磨り減っている。

 つづら折の道を下るが、アスファルトの下りは足を痛めるので注意がいる。13時につるや旅館に着く。このあたりは旧軽井沢の最奥にあたり、観光客で賑わっている。休日の原宿並みの騒々しさで、すれ違いに肩が振れるよう。13時30分軽井沢駅に到着するが、駅前から出る横川行きのバスが14時20分発なので時間調整が必要だ。駅前の店で縄文焼のしめじお焼きを腹ごなしにいただいた。(文・写真 松野)










   横川龍駒山(010720)    神徳泰彦



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