中山道69次を歩く
中山道69次を歩く
熊谷〜深谷 2001年9月23日 第5回


早朝、日帰りの観光バスの出発を見送った後、先週歩いた所、熊谷まで車を走らせた。熊谷市役所に車を止められるかが心配だった。30人余の年配者達がゼッケンをつけて市役所内をたむろしていたので大丈夫と踏んで、車内でハイキング仕様に着替えて、9時30分に出発した。

 熊谷本町交差点を右折すると、すぐ高城神社が右手に。

境内に大欅の木があり、掃除をしていた若い人に聞くと、「何年だったかよく分からない」というので、資料を貰うことにした。最も古いのは、手水場と社殿、御神木の大欅は樹齢800年以上という。社殿は石田光成の忍城攻めの際に兵火で類焼、今のは寛文11年(1671年)に再建したもの。

 蕎麦や「清気庵」前に札の辻の碑がある。10時05分、バス停の傍に、竹井本陣跡の碑がある。このバス停の屋根が立派な瓦葺ですばらしい。中山道はここから北西に斜めに入るが、右角に熊谷寺(ゆうこくじ)が見える。熊谷直実の菩提寺で、直実はこの近くの熊谷館に生まれ、晩年この地に庵をむすび、ここで往生した。このあたりは旅籠屋が多く、宿場に珍しく飯盛女がいなかった。近隣の村の猛反対があったからという。

 「秩父道しるべ」の分岐点を10時26分通過。蕎麦や増田屋を左折し、150m行くと植木の一里塚跡、高さ12m、樹齢300年以上の欅が残るのは東側のみ。

 今日は快晴だが、気温が低く長く歩いていても、なかなか汗が出ない。風が冷たい。昨日富士山や北海道の旭岳に初冠雪とか、長野の開田高原でも気温が零下だった。いつの間にか深谷市に入る。街道沿いの民家の敷地に、小さな祠が目に付く。ほとんどが木造だが、稀に石造もある。

 11時43分、東方交番前を通過。すぐ右に熊谷神社。お腹が空いたので、食房中村で昼食をとる。3年前に建てたとかでまだ新しい。カウンターの奥にいるオーナーは65歳で、厨房には息子が・・・。嫁さんが息子を見ながら、お手

伝いだ。300円の生ビールに焼肉定食で千円は安い。嫁さんの写真を取らせてもらって、12時30分に食堂を出る。

 名物深谷ねぎ畑があり、銀杏並木が続く。5分も歩くと、左手に国済寺か?常夜灯が一基、左折していくと左手に地蔵や古い石碑があるが、そこからが分からず戻る。幡羅中学校では運動会開催中。そこで道を尋ね、中学校先の信号を左折すると、大谷石の塀が続く。そこが国済寺らしい。結局、一回りして山門へ、工事中で山門からは入れず、横から本堂へ行く。お彼岸で檀家の人で賑わう。やがて、国道に交差するところに、樹齢420年を数える見返りの松があるが、深谷宿はここから始まる。

 常夜灯を過ぎて直ぐ右手に、変わった古い洋風の建物がある。大谷百子宅で、真向かいのおばあちゃんに聞く。当時不景気だった昭和6〜7年の建物で、県会議員だった方が地元の建築関係者を潤したという。おばあちゃんは「私も中を見せてもらったが、贅を尽くした建物だったよ」

 深谷仲町信号を過ぎ、深谷本町信号角の薬局のおばさんに深谷駅を聞くと、通り過ぎたようだ。露地を抜けて駅に行く途中、「深谷関所ちょろ作の碑」が西島2−18に。13時40分、レンが造りの東京駅を模して8分の1に縮小した深谷駅が現れる。とてもきれいだ。

 




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