中山道69次を歩く
中山道69次を歩く
倉賀野〜安中 2001年9月8日 第3回


 

 今回は妻の節子も一緒に行くと言うので、倉賀野、高崎、安中の3宿で割りに短い距離の宿場を選んだ。安中あたりまでだとJRで、お得なホリディパスかなんかがあるはずと駅員に聞いて@2,040乗り放題を購入。

八高線で9時47分に倉賀野駅で降り、西へ100mほど行き突き当たり、

旧道と合流する。丁度お祭りらしく、突き当たりの倉賀野仲町山車倉で山車の準備をしている。倉賀野は烏川と利根川を使用する物資運搬船の最上流の河岸として栄えていた。すぐ右手に脇本陣跡、高札場には慶応4年3月太政官令の定書がある。正徳元年五月のもので、バテレンなどの不審者?を申し出たものに銀五百両を褒美としてくださる、と書かれている。高札はいかにも古く木目が浮き出ているが、ある資料によると複製と書いてある。

 安楽寺に立ち寄る。七仏薬師如来が奉られ、左手には天平時代の(729〜749年)のものと言われる2枚の板碑、安永4年(1775年)の庚申搭がある。道路が広い為か200mにわたり若木の松並木が続く。

 倉賀野駅では高崎だるま弁当が無く買えなかった。高崎会館ドライブインに高崎弁当の旗がはためいているので、迷わず弁当を購入。どこかの公園で食べる所があるだろう。しばらく高崎線に添って歩く。10時53分新幹線のガードを、さらに上信電鉄を越して和田町に入る。高崎は江戸から13番目の宿場だが、城下町だったので本陣、脇本陣は置かれなかった。新町交番裏に海鼠壁のある土蔵造りの諏訪神社がある。屋根は城郭風、正面入口には龍を絡ませた鳥居が貼り付けてある。本町3丁目を左折、古い建物が多い。外側は新しいが中は昔のまま使っているようだ。土間が見える。蔵造りの山田源右衛門宅は漆器卸問屋か?このあたりで、食事でもしようと緑多い公園を探すが、なかなか見つからない。結局、11時50分、国道17号線と18号線の分かれる所、並榎町の小さな公園で昼食。900円のだるま弁当の中身は、良く味が染みた鶏肉、栗、こんにゃく、山菜、たけのこ、椎茸、漬物に味付けご飯。赤いだるまの容器は貯金箱にも使用可。食べていると眠くなり、ベンチで昼寝して体を休める。

12時40分、烏川にかかる新君代橋を渡る。左手にぼんやりと高崎観音が見える。下豊岡に入り、直ぐ国道と分かれ右手の道へ。途中、福だるま丸運など二軒の達磨造りの店を右手に見る。紅白の達磨が製作中で、天火干しの様子が懐かしい。昔このあたりを観光バスで通ると、窓から農家の庭先で達磨を作っている様子がよく見られたものだ。国道に合流して直ぐ藤塚の一里塚。県下唯一だとか、ここも左側だけが残る。少林山達磨寺は直ぐ左手碓井川の対岸に。右手は観光用に見せている大門屋だるま、よく休憩でよる所だ。ここのうどんがうまい。八幡宮鳥居が右手に見ながら、安中市に入る。

碓東大橋でえらい手間を取った。この地方の道路行政にぷんぷんである。橋の手前に自動車運転者用の休憩所があった。トイレや東屋風のベンチもあり、設備がいいな〜と思っていた。所がそこから歩行者がどうやって車道と同じ方向に行くことが出来るのか?散々迷ってしまったのだ。車道の反対側には歩道があるが、交通量が多くとても横断できない。手前の30aと狭い側道を歩行するには危険が伴う。結局、行きつけるか分からない高架道の下を一旦くぐり、そこから高架道にじぐざぐに階段を上って、反対側の歩道にたどり着いたと言うわけ。歩道の階段の入口に車止めがついていたり、上がったって車が通行不能なところになんでわざわざ金をかけてつけたのか?

その先も国道18号線の南側を旧道があるはずが、分からず安中駅方面の表示まで、18号線を歩いた。まだかまだかと左折すると、そこが安中駅だった。14時35分着。手前に板鼻宿本陣跡、今は板鼻公民館らしい。西隣のちょうちん屋と呼ばれる花屋は江戸時代末期の土蔵造りの建物。旧道には道租神が多く見られると知ったが、途中は左手の山斜面に東邦亜鉛の工場群が不気味な姿を見せているのが印象的だった。

トイレで下着を代え、15時12分の高崎行きの列車を待つ。

 





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