中山道69次を歩く
浦和〜鴻巣 2001年9月2日 第2回



 2日続けての中山道歩きで足腰が心配だが、行ける所まで行こう。8時10分、浦和駅着。4分で昨日の旧道に合流する。商店街の歩道に「中山道浦和」と銘を貼りつけた石塔

が所々に設置される。常盤1丁目の交差点、左奥の仲町公園が星野本陣跡、今は何も無い。直ぐ先の公園入口に、農婦が手に大根を、かぼちゃを足元に置き、商いをしているブロンズ像があった。ここでは2と7の日に「六斉市」が賑やかに行われていた。

 北浦和のショッピングプラザHOP前に、レディア像がある。流石にサッカーの町、浦和レッズを支えている町だ。「レッズの勝利と貴方の願い心にこめて、掌でレディアの頭(耳)を3回、鼻を2回なでてください」とある。森、福田らの足跡がレリーフで残る。

 しばらく京浜東北線に沿って歩く。8時50分、北浦和に浄土宗の郭信寺がある。サツマイモの女王紅赤の発祥の地の看板がある。本堂は新しく由緒あるお寺の感じとはちょっと違う。ご本尊は木造阿弥陀如来座像座高88cm、膝張70cm、寄木造り。大阪城の内仏だったもの。元禄14年(1701年)の修理銘がある。境内は幼稚園があり狭い。昔はここからも富士山が見えたらしい。


与野駅東に9時14分、根周り6mはある大欅が目立つ。そのあと北袋町に入り、欅の参道が2キロ続く。ほっとする。左手に埼玉新都心の高層ビルが続く。大宮に入り高台橋のお女郎地蔵像が屋根の祠に安置。千鳥、都鳥姉妹の悲恋物語が紹介されている。

氷川神社入口の赤い鳥居の近くで、はっぴを着た人らが祭りの準備か?大きな常夜灯が2基当時の名残をとどめる。JR浦和駅9時55分着。一番街の先の「メガネのスーパー」でメガネを洗浄し、ワシントン靴店地下の喫茶シャノアールでコーヒータイム。

ずーとアスファルト歩道で、周りも建物だらけで・・・すると右手にこんもりと森が見える。加茂神社だ、セミがここぞとばかり「ミ―ンミンミン」と鳴き声を競う。しばらく行くと愛宕3丁目にまた森が、神社と思いきや畑さん宅の庭だった。隣はALBION上尾工場東京流通センター、隣接しているのでその関係者なのかも知れない。

12時10分、行灯看板につられて、シーアイ化成(株)の前の蕎麦処「はちく」で昼食をとる。窓側に向かい合わせの長いテーブルがあり、他にテーブル、二階に24名収容の宴席もある。美人女将で、石臼曳き手打ち蕎麦、北海道産の小麦粉使用という。天ザル、生ビールとキムチを所望する。

13時06分、上尾駅手前に氷川鍬神社が、常夜灯が2基、桜などの古木が立派だ。上尾には柄のついた鍬を作る腕のいい職人がいたそうだ。仲町が宿場の中心地で、林本陣跡、細井脇本陣跡今はなにも残されていない。中山道上尾宿と本陣の案内板がある。

右手に酒造会社(株)ぶんらくの目立つカラー看板の前を通過。「山廃仕込み」「鬼若」

の銘柄か?13時52分、桶川市に入る。桶川駅の手前に大正時代に改築した「武村旅館」がある。昔のたたずまいを残す。この商店街に古い面影を残すものに、宿場銘茶、嘉永7年創業(1854年)ペリー来航の翌年だそうで、古い商家造りの表看板はいかにも年代を感じさせる。若旦那にこの先に本陣跡があるというので、行ってみる。森田設備の手前パーキングから見に行くと聞いたので、裏から見ると古い土蔵が確かに見えたが・・・。

15時06分、北本市に入り民家の角下(本宿8-110)に古い石碑があったが何だろう。北本駅手前にある多門寺によって見る。入口に常夜灯が二基、伊勢OO講の寄進で明治29年の銘が書かれているが、台座は相当古いようだ。奉納の丸い石碑は寛保元年とある。境内に樹齢200年というムクロジがある。寺の北側隣に天神様がある。

16時00分、鴻巣市に入る。人形町の地名が続く。江戸時代より雛人形の生産地で江戸の十間店、武州越谷と共に「関東三大雛市」として栄えた。鴻巣人形は、江戸時代に京都の伏見人形師が移り住み、作ったのが始まり。深井2丁目にしゃれた街灯に旗がはためく。旗には、「ここは鴻巣人形町」とある。鴻巣人形店広田屋を覗いてみる。ここは前に商工会議所のある部会の研修場所にどうかとコースを組んだことがあるところ。江戸時代以降の良く保存された雛人形を見せてもらう。工場見学は組み立てが良くわかる10月から12月までが公開していると社長はいう。吉見屋人形店には、土蔵を利用した雛屋歴史資料館がある。丸武人形店は休館だった。もう足腰が痛く、早く鴻巣駅に着きたい気持ちだけ。鴻巣駅前信号を左折して駅へ。16時40分到着。



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