中山道69次を歩く第11回
塩尻〜贄川(にえかわ)
 2002年2月9〜10日 

 1ヶ月振りの冬の中山道歩きに妻を誘った。車で中央・長野道を乗り継ぎ塩尻インターで下車、国道19号線を走る。道路上は雪かきがされて雪がないが、周りの山々は雪一色だ。洗馬(せば)駅の先、

日出塩駅前に午前9時30分に到着する。自転車置き場の前に車を駐車し、無人駅待合室に入る。ストーブが燃えとても暖かい。お客は他に青年が一人。9時39分発の塩尻行きにのる。1時間に1本しかダイヤがない。洗馬駅を過ぎた頃に、キップを買っていない事に気づき、運転手に聞くと手前の入り口に整理券発券機があったそうで、整理券を持ってない人は塩尻駅で申告してくれとの事。190円を支払い塩尻駅を出て、旧中山道まで戻ることにする。ちょっと不安なので、駅前交番で道を訪ねると、地図を見せながら案内してくれたが・・。

 妻と私は互いに生半可に返事をしながら聞いていたせいか、すぐ道に迷ってしまった。気温は1〜2度で雪が舞い、傘をさしながらの歩きになる。ガードをくぐって右折してしばらくすると国道19号線にきてしまった。本当は左手の山裾の道のはずだが、遠回りをしたことになる。もっと平出遺跡のそばを通るはずだ。桔梗ヶ原に出る。洗馬と塩尻の間にあり、信玄方と松本城主小笠原との戦があったところで、昔は野っぱらに麦畑があったそうな。今は一面ぶどう

、梨、りんご畑となる。梨の木の枝木が天を指して伸びている様は、遠景の雪の白さにいっそう寒々しさを感じさせる。この辺りの看板にゴイチワインや信濃ワインの名が目立つ。

 いくつ目かの食堂(なんとか展望といったか?)で昼食を取る。テレビではソルトレークシティで行われた冬季オリンピックの開会式の放送をしていた。生姜焼き定食と塩ラーメンを注文する。広い食堂だが出るまで他に客は来なかった。11時50分に出る。じき国道と分かれ、右折する。4〜500mで右手に直径10cmほどの松があり、「細川幽斎肘掛松」の碑が建ててある。12時10分、洗馬駅に到着する。この後、奈良井の宿を見学し今日の宿、釜沼温泉大喜泉に早めにチェックインするために、歩きは早めに切り上げる。洗馬駅は無人駅だが、12時でストーブが消される。地元のおじさんが消しに来る。申し訳なさそうに「済まないね〜。12時で消すことになっているんだよ。」12時20分頃、今度はJR東海の腕章をつけた人が、掃除をしに来た。今度も「済まないね〜。ストーブは12時に・・・」と言う。「いえわかっています。さっきも言われました。」

 12時41分の電車で、日出塩駅に戻り、車で奈良井の宿に向かう。奈良井の宿は1キロに

わたる大規模な町並みで、昭和53年(1978年)国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。奈良井駅近くの駐車場に車を置き、散策する。町並み西の外れ、若宮様まで行き、それから戻ることにする。土産屋や旅篭屋の前にバケツで凍らせたような氷の塊が融けずに残っている。行灯にでも作ったのか?見かけがしゃれた喫茶店松屋茶房に入る。はほおずきの殻に電気を通したインテリアが目に飛び込む。枝はコードを巻いたものだ。室内のインテリアはなかなか凝っている。50歳ぐらいのご夫婦が経営している。ご主人の話では先ほどの氷の塊は、2月3日に行われた第4回アイスキャンデー祭りの残骸らしい。やはりバケツで作った氷にろうそくを灯し、宵闇に幻想的なファンタジーを演出したそうだ。「8月12日からの奈良井宿場祭りもすばらしいよ。」という。「昨年は鎮神社の鳥居が倒れて一千万円の出費があったり、若い衆が神輿を落として一千万円の修理代がかかったり大変な年だった。」八王子の立教大学に学ぶ娘さんはじめ3人のお子さんがいる。仲のよさそうな上品なご夫婦で、爽やかな印象でコーヒーをいただいた。

 翌日、今度は洗馬駅前に車を駐車して、9時50分洗馬から歩き始めた。昭和7年4月の大火災で宿内200軒が消失し、本陣の百瀬家、脇本陣の志村家は残っていない。洗馬には当時、「洗馬煮」という名物料理があった。「東海道中膝栗毛」や「大言海」にも載るほどで、北陸地方から運ばれた塩漬けの鮭や(ぶり)を煮て、その塩漬けに大根などの野菜を煮こんだものだという。10時20分、国道との分岐に「本山

入口」の標識があり、雪の中に地蔵らが立つ。各戸の家々の前に屋号を掲げている。仲町に入ると、松阪屋、川口屋、池田屋、若松屋など千本格子や出格子など旅篭屋の遺構が残る家並みが続く。ここは昔から蕎麦の栽培が盛んだったらしく、「そば切り」発祥の地の看板が見える。10時50分、左手に一里塚碑がある。ここは江戸から61里、京へ71里とある。長泉院のすぐ先左に入ると日出塩駅。国道19号線のガードをくぐり、また合流し 奈良井川を右手に見て、19号線に沿って歩く。歩道は巾が広く、雪かきも小型のブルで雪かきをしたような跡で、雪で濡れることはない。11時15分、境橋を渡ると、右側にある「是より南、木曽路」の碑を通過。気温は零下4度で、寒さで顔が引きつる。ときどき国道から離れて、小集落に出会う。桜沢の集落を過ぎると贄川駅に着く。塩尻行きの列車の時間が気になり、駅舎に駆け込み時刻表を見ると、11時56分に出たばかりで、次の列車は13時29分。食べる所がないので、ストーブを消しに来たおじさんに聞くと、「前は隣に薬膳茶屋があったが、今はもうやっとらんな〜。」ときた。昭和51年、贄川関所跡に開設された贄川関所木曽考古館ま

で行って、食堂がないことを確かめて戻った。駅前の森川酒店に行き、カップのもやし味噌ラーメン、チャーシューめん、ソーセージを買い、お湯を麺に入れてもらい駅に戻った。ストーブの火が消えているので、寒くなってきた。カップ麺の暖かさが身にしみる。

 駅に立ち寄る車で来るお客は、ほとんど外のトイレに行っていた。先にいった妻に聞くとトイレ全体に電気暖房が施され、暖かいのだそうだ。「じゃ〜。トイレで食べようか?」妻は「寒くてもそれだけはいや。」と肱でっぽう。余りにもの寒さに、待合室の椅子に妻と背中合わせにすわり体をつけて仮眠をとり、時間待ちをした。

 かくして何とか、日中気温零下4度の世界を生き延びた次第である。

 


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